2024(令和6)年版

 

12月1日、2日 報恩講

 今年は12月の第一日曜が1日ということで、師走の月初めの報恩講となりました。前日(11月30日)は曇天の寒い日で、準備していただくお世話方の皆さまには申し訳ないことでしたが、報恩講当日の二日間は快晴のうえに気温も高く、行事をするには最高の天気に恵まれました。

 おかげさまで、二日間にわたる法座には多くの方々にお参りをいただき、ストーブの暖気以上に本堂が暖かく感じられました。次年にご法事が当たっているお家には、それに先だって報恩講にお参りいただき、どうか浄土真宗のみ教えをお聞き下さいとのお誘いの紙を一枚余分にお送りしたこともあって、例年以上に法座に初めてご参加いただいた方も加わり、まことに有り難いことでした。

 コロナ感染症が流行してから、おときを休止していましたが、今年から再開することにしました。ただ、報恩講のおときには欠かせなかったまる揚げを作ってもらえる豆腐屋さんが休業になったり、なによりも調理、お給仕をしていただく皆さんも相応に年齢を重ねておられます。お世話方のご負担にならない形でおときを再開するべく、ご飯ものは外注し、汁物だけ準備していただくことにしました。

 

  

 

 今年は布教使として、大阪市堺市から、山上正尊先生(旭照寺ご住職)においでいただきました。やはり行信教校で研鑽を積まれ、ご本山の安居にも毎年列席しておられる先生で、深い学識のもとに、やさしく丁寧にご法話をしていただきました。「はじめてお寺にお参りのかたもありますから、わかりやすいところからお話し下さい」との無理な御願いを受け入れていただき、やさしいところから、次第にみ教えの深い味わいまでお話いただきました。また「法然上人ご絵伝」や親鸞聖人の「ご絵伝」などの一部分を取り上げた資料も配付いただき、ちょうど私も『御伝鈔』を「ご絵伝」と併せて最初から解説・拝読しようと準備した資料(上)と重なって、ありがたいお話をいただけました。

 「仏道というのはね、『私が悟る』というのが一般的なものなんです。私という主人公が、お悟りに向かってゆくというのが、一般的に見た仏道というものだったんです。でもそこに、もう一つ仏道があるよ、と示されたのが、親鸞聖人のお師匠である、法然さまでした。法然さまは、仏道に二つある。一つは私が悟りに向かう仏道。もう一つは、阿弥陀さまがわたしを救って下さる、救いの仏道がある。お釈迦様がお示しいただいた仏道には、悟りの仏道と救いの仏道があることをお示しいただきました。そのうち、私が悟りに向かってゆく仏道は大変むずかしい、私はそのような難行をおこなう器ではありません、と法然さまはおっしゃいました。ところが、そんな凡夫の私のために立ち上がって下さった仏さまがおられる。それが阿弥陀さまです、というふうに、救いの仏道というものがあることを明らかにされたのが法然さまでした。……

 お釈迦さまのお説法というものは、人が安らかになるために説かれたものでした。なんで人はこんなに苦しまなければあかんのやろう。ご自身が苦しむのもいややし、周りの人が苦しんでいるのも見てられへん。それで、苦しみの原因を発見しはったんです。私たちがふだん苦しみに感じた時、その苦しみの原因をどこに求めるかというと、私ら目が外に向いていますから(笑)、私以外にその原因を探そうとするんですよ。あいつが悪いねん、と思いたいんですよ。ところがお釈迦さまが見出された苦しみの原因は、見つけにくいところにありました。この私の心の内にこそ苦しみの原因がある、と見出されたのでした……煩悩を起こさない、悪を重ねない生き方をしましょう、とお釈迦さまは説かれたのでした.……

 ところがね、わかっているのにそういう正しく生きてゆくことができないものがいる。やったらあかんで、と言われる方向にしか自分の居場所を見いだせん方は、転げ落ちてゆくように悪の方向に向かわざるを得ないんです。そっちにいったらあかんという方向に行ってしまう方に対して、救い専門の仏さまがおられる、と説かれたのが浄土三部経でした。……」(初日午前のご法話から、引用者抜粋)

 

 山上先生には日頃大変お忙しいなか、関ヶ原を越えておいでいただき、二日間にわたり情理を交えてご法話をいただき、まことにありがとうございました。遠近からご参拝いただいた皆さま、まことにありがとうございました。また、準備日とあわせて三日間にわたってお世話になった役員・お世話方の皆さま、いつもながら本当にありがとうございました。今年も皆さまとともに全力疾走で、笑いながら楽しく駆け抜けた充実の報恩講でした。


9月14日 秋の法要

 秋の法要までにはなんとか過ごしやすくなってほしい。その願いにもかかわらず、当日の岐阜市の最高気温は34.8度。ほぼ酷暑日です。これはお参りも少ないのではないかと危惧していましたが、有り難いことにこのたびも多くの方々にお寺にお越しいただき、本当にうれしく思いました。本堂外陣のガラス戸を全開にしても心地よい涼風が通り過ぎるでもなく、扇風機を総動員しても依然として暑さは厳しい。それでこのたびは、勤行は本堂で、ご法話はクーラーのある庫裡広間で行うことといたしました。はじめての試みで、ご参拝のご門徒の方々にはあちこちと移動していただくことになりましたが、庫裡広間でのお聴聞はまた、いつもとちがう親密感と新鮮さがありました。布教には大阪市から浄徳寺ご住職の三原信隆師においでいただきました。本当に暑いところを遠路お越しいただき、恐縮した次第です。三原先生には、『大経』の第18願成就文にある「聞其名号」というご文をきっかけに、「聞く」ということ、とりわけ南無阿弥陀仏の名号を聞くということの意義を、このたびも優しい語り口で親しくお話いただきました。まことにありがとうございました。

 夏の法要となってしまったことを反省して、来年からは9月の最終土曜に開催日を移動せざるをえないなと思った、このたびの法要でした。


 
 

 

 



5月11日 春の法要

 連休明けのおだやかな日に、春の法要をお勤めしました。同法要は、お釈迦さまのお誕生を祝う花まつりと戦没者記念追悼法要を併せたもの。例年どおり、白象と誕生仏を本堂正面に配置しながら、こうした竹と紙で白象などを作られる職人さんも希少になったのだろうなあと思ったことでした。ほんの十数年ほどまえには、当寺からわりと近いところにそうしたお店があったのですが。いまある白象はおそらく昭和30年代ぐらいに新調されたものでしょうが、これからもいっそう大切に使わせて頂かねばなりません。またお勤め後の挨拶には、第二次世界大戦末期には当寺の境内にも防空壕が掘られ、空襲警報が鳴るごとに本堂のご本尊とともにそこに逃げ込んだという叔母のお話を紹介させていただきました。

 布教には、このたびも大垣市浄円寺ご住職の富田祐尊師においでいただき、和やかな雰囲気の中で、深いご法話をいただきました。

 

  


 

バックナンバー


2023(令和5)年の記録
2022(令和4)年の記録
2021(令和3)年の記録
2020(令和2)年の記録
2019(平成31/令和元)年の記録
2018(平成30)年の記録
2017(平成29)年の記録
2016(平成28)年の記録
2015(平成27)年の記録
2014(平成26)年の記録
2013(平成25)年の記録
2012(平成24)年の記録
2011(平成23)年の記録
2010(平成22)年の記録
2009(平成21)年の記録

2008(平成20)年の記録

2007(平成19)年の記録

2006(平成18)年の記録

2005(平成17)年の記録

2004(平成16)年の記録

2003(平成15)年の記録

2002(平成14)年の記録
2001(平成13)年の記録

2000(平成12)年の記録

無盡燈トップページヘ