2020(令和2)年版

 

9月12日 善徳寺報恩講

 コロナ禍のもと、今年はお寺の行事が本当にできなくて、この「善徳寺ひろば」のページもさみしいものになってしまいました。コロナ感染症拡大第一波のなかで、4月の大谷本廟納骨参拝旅行、5月の春の法要を中止し。6月の婦人会総会・研修会も安全のために開催を断念したころ、今年は以後の8月のお経の練習およびお楽しみ会、9月の秋の法要と本山への念仏奉仕団、12月の報恩講という予定も再考することにしました。本年の寺院行事は報恩講をのぞいてすべて中止とすること、そして報恩講も、本堂内のガラス戸を全開できる秋の早い時期(秋の法要日として予定していた9月12日)に行うこと。その報恩講も、お世話方、ご参拝の方々の安全を期して、準備も最低限に寺の者だけが行い、おときもやめて、午後の一座のみとすること。こうしたことを、本来ならば開かれるはずの6月の定期役員会の代わりに役員の方々に文書でご提案。ご意見を伺って、ご承認をいただいた後、ただちに寺報(2020年夏号)にてご門徒の皆さまにご報告するとともに、いつもおいでいただく御寺院方にも文書にてお知らせしたのでした。

 

 

 

 本堂の幕張などは省略し、役員の方々には、当日の外陣のイス並べと向拝柱の提灯がけ程度をお世話いただきました。参拝者へのお茶もペットボトルを用意して、消毒用のアルコール液も数カ所に配置して、備えました。

 

   

 このコロナ禍のもと、一体どれだけの方がおいでになるだろうか。やはり今回のお参りはいつもより少ないんじゃないだろうか。正直なところ、そんなことを心配していたのですが、蓋を開けてみると、当初予想していた以上のお参りをいただきました。お迎えする者としてはこの上なく有り難い思いで感激もしましたが、あれよあれよと堂内の座椅子が敷き詰められ、座席間の距離が十分にとれなくなってしまったことを大いに反省しました。要するにこれは、み教えとご参詣の皆さまへの信頼が足らなかったことと、大変恥ずかしく思ったのでした。九月上旬ごろは岐阜市の新型コロナ感染も一日につき多くても2件と比較的安全な時期で、結果的には行事後になにも問題が起こらず、大いに安堵したのですが。またご寺院の皆さまにはまだまだ暑さの残るなか、夏の衣にマスクを付けておつとめをしていただき、誠に有り難うございました。

 


 おつとめ後は、大垣市の浄円寺ご住職の富田祐尊師にご法話をいただきました。富田先生にはいつもながら無理なお願いをご快諾いただき、お世話になりました。こうして、皆さまのおかげにより、山あり谷ありのこの限りある生涯を豊かに生き抜くための本当の力となるお念仏のみ教えをともに聞き喜ぶご縁を持たせていただくことができました。

 このパンデミックの状況下で、私どもは、これまでにも増して同じような日々をただただ繰り返して生きているような思いに向き合わざるをえません。いわば出口のなかなか見えないトンネルのなかを歩き続けるのに、誰もがいま、いささか飽き、疲れているようにも思われます。そんな中で、人との交わりを感じながら意味のある言葉を聞きたい。報恩講に多数おいでいただけたのには、もしかするとそんな思いが皆さんにもあったからなのかもしれない。今年の特別な報恩講をおつとめし終えて、そんなことを感じた次第です。

 

 


バックナンバー

2019(平成31/令和元)年の記録
2018(平成30)年の記録
2017(平成29)年の記録
2016(平成28)年の記録
2015(平成27)年の記録
2014(平成26)年の記録
2013(平成25)年の記録
2012(平成24)年の記録
2011(平成23)年の記録
2010(平成22)年の記録
2009(平成21)年の記録

2008(平成20)年の記録

2007(平成19)年の記録

2006(平成18)年の記録

2005(平成17)年の記録

2004(平成16)年の記録

2003(平成15)年の記録

2002(平成14)年の記録
2001(平成13)年の記録

2000(平成12)年の記録

無盡燈トップページヘ