ぜんとくじひろば
2017(平成29)年版
12月2〜4日 当山報恩講(含準備)
報恩講を12月の第一日曜と翌月曜に移動して二回目。寺報その他の文書作成、定期役員会もそれに伴ってほぼひと月前倒しになって11月がいささかあわただしくなりましたが、なんといっても十二月初旬は寒さが厳しくないのがうれしい。本堂の暖房はもちろんかかせないものの、ときには堂内が暑く感じられるほどに暖房が効く。そんななかで、今年の報恩講もおつとめさせていただきました。4日の夕方、お取り持ちの皆さんが帰途につかれる頃に弱い雨が降りだしたのはまことに申し訳ないことでしたが、概して天候に恵まれた日々でした。いつもながら、役員・婦人会の皆さん、ご参拝の皆様には誠にありがとうございました。またご講師の正宣寺ご住職大野孝顕先生には昨年年明けの報恩講に続き、このたびも得がたいご縁を賜り、本当にありがとうございました。
行事次第:
12月2日午前 報恩講準備 幕張り、おとき準備、他
3日終日 報恩講当日
10時 勤行・布教
12時 お斎
13時半 御伝抄拝読・勤行・布教
18時 勤行・布教
4日午前・午後 報恩講
10時 勤行・布教
12時 お斎
13時半 勤行・布教
ご講師: 大阪教区大阪北組正宣寺ご住職 大野孝顕師
写真記録:
めずらしく法務の合間にお世話方の皆さんの準備風景を記録することができました。
いつも法座に来ていただいた方々がいろいろな理由でこられなくなってしまうと、いつもお座りになっていたあたりの空間がなんだか寂しく感じられ、これがお寺をお預かりする者としては気に病むことです。ああ、あの方はいつも身なりをきちんとして法座のたびにお出でいただき、あのあたりに座っておられたのに、そういえばご往生されたんやったなあ、などと。
一方で、本堂の中に新しい方々が来られたのに気づくと、なんともいえずうれしい気持ちになります。ご家族で、お一人で、お友達とともに、ご年配から若い方々も。
さまざまなご縁でお聴聞においでいただいたお同行の皆さんに、このたびも、大野先生には楽しく、わかりやすく、深く、ご法話をしていただき、まことにありがとうございました。
「お念仏もうす人間に育て上げ、救うていく。すべて阿弥陀さまのはたらきだったんですね。……なんまんだぶ、なんまんだぶ、 なんまんだぶのお念仏は、私が言ったから阿弥陀さまが救うんじゃないんですよ。お念仏はね、もともと阿弥陀さまの願いを知らない者に、どうかわが名を呼んでくれよと阿弥陀さまの方から与えられたものなんですよ。これが南無阿弥陀仏のお念仏なんです。……
年をとることは大変ですよ。でもね、年をとらんとわからん世界もあるでしょ。私はね、23歳でね、はじめて浄土真宗の勉強をしたんですよ。はじめはね、なにがお念仏や、あ、ごめん(笑い)。でもね、教えを聞いてるうちに、南無阿弥陀仏に救われる自分であったことの気づきがだんだんだんだん深まっていきましてね。これが浄土のみ教えなんですよね。若いときに分からんことが、年をとってきて、ふかーく味わうことができるんですよ。年をとるごとにありがたい世界があるんですよ。……年をとることも、病気になることも、命を終えてゆくことも、そこに尊い意味を与えてゆく。これが南無阿弥陀仏のみ教えなんですよ。……」(3日午後のご法話より、引用者抜粋)
大野先生には、いつもご自身のことを楽しくお話いただきながら浄土真宗のみ教えをわかりやすくお話いただけます。けれども、いかんせん、そうした個人的な部分から御法義の深みにいたるようなお話は、やはりご本堂でお聞きいただくほかなく、それがもどかしく、また申し訳ないところです。どうか、どなたも、実際にお寺においでいただき、ご本堂でご法話をご聴聞していただきますよう。大野先生にはまた、かるい晩酌をまじえて、さまざまなお話をしていただき、誠に有り難うございました。またのご縁をご門徒の皆さんとともに楽しみにしております。
9月9日 秋季法要(当山火災記念法要、同心会・婦人会物故者追悼法要および両会主催報恩講)
今年は予想外に夏の暑さが早く遠のいた感じが致しますが、それにしても9月のまだ上旬。いささか汗ばむ陽気のもと、秋季法要をお勤めさせていただきました。
本年は布教使として大阪教区大阪西組浄徳寺ご住職の三原信隆師においでいただきました。三原先生にはご多忙のなか遠路お越しいただき、誠に有り難うございました。またこのたびも婦人会の皆さんにはおときにイタリアン精進の品をいくつか加えていただきました。昨年の春の法要から数えて4回目とあって、試食会や下準備の手間もさほどかからなくなりましたが、本当にありがたいことです。けれども、お勝手場で味見をしながらあれこれおしゃべりをしていただいているさまを拝見すると、この新しい試みを皆さんで楽しんでいただいていることも確かなようで、うれしいことです。
「 救いっていうのは、阿弥陀さまの智慧をいただいて、私のものの見方、考え方が変わっていってこそ、はじめて救われたというんです。私が教えを聞くことによって自分自身が変わらないと救いにはならない。教えを聞く前と、教えを聞いた後で、なんにも私変わってませんていうたら、聞いた意味がないやん。あ、だけど誤解せんといていただきたいのは、聞いたからといって煩悩がなくなって仏さまになるとかいうことではないんですよ。ただ、いままで教えを聞かない者がね、教えを聞いて、『あ、仏さまってこんなことおっしゃってるんだ。いままでまったくそういうことに気がつかなかった。へえ、仏さまの目から見れば世のなかはこういう風にみえるんだ』というように気づかせていただいたら、私自身がちょっと変わってゆく。ちょっとかわらなきゃ。大きく変わるのは、お浄土にいってからですけれども。……
わたしの考え方は、なかなか抜けないけれども、だけどちょっとわたしの考え方を横へ置いておいて、そして、如来さまのお言葉をスッと聞く。そしたら、少しずつ少しずつ私の心が変わってゆく。それが聴聞するっていうことなんです。」(午前の法話より、取意抜粋)
三原先生には、やわらかな語り口ながら、浄土真宗のみ教えや救いについて、細やかなご配慮をしつつ深いお話をしていただきました。加えて、お忙しい中、ご遠方からお出でいただき、誠に有り難うございました。
6月27日 第41回善徳寺仏教婦人会総会・研修会
テーマ 攝取して捨てざれば
講師 富田祐尊師(大垣市浄円寺ご住職)
プ ロ グ ラ ム
12:30 受付
13:00 1.開会式
1. 開式のことば(副会長)
2. おつとめ(讃仏偈)
3. 住職あいさつ
4. 仏教婦人会綱領と「拝読・浄土真宗のみ教え」唱和
13:25 2.善徳寺仏教婦人会総会
1. 平成28年度行事報告
2. 同年度会計決算報告
3. 会計監査報告
13:40 ……………休憩………………
13:50 3.研修会
13:50 1. 真宗宗歌
2. 法話 富田祐尊師
3. 恩徳讃
15:10 4.閉会式
1. 閉式のことば
15:20 解散
本年も善徳寺仏教婦人会の会合を行いました。総会に引き続いての研修会には、本年も大垣市浄円寺ご住職富田祐尊師にご講師をしていただきました。
「十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなわし
攝取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる」(親鸞聖人『浄土和讃』より)
「阿弥陀さまというのは、私たちは仏さまの名前だと思っている。名前には違いないけれども、親鸞聖人さまが「摂取して捨てざれば阿弥陀と名づけたてまつる」とおっしゃられたその深いところには、じつは、阿弥陀さまというのは、摂めとったらもう捨てないぞという、そういうはたらきを阿弥陀さまと申し上げるんですよ、というご理解が込められています。」 (引用者取意抜粋)
富田先生には、日頃親しんでいるこのご和讃を題材にご法話をいただきました。私たちは阿弥陀仏の摂取不捨の誓願のはたらきのなかに生きているということを、ていねいかつ和やかにお話いただきました。いつもながら、やんわりとしたお話ぶりのうちに、しっかりとした浄土真宗のみ教えを聞かせていただき、誠に有り難うございました。
5月13日 春季法要(花まつり・戦没者記念追悼法要)
春の心地よい時期、せっかく花まつりをさせていただくのなら、多くの方々にお参りいただいてご聴聞の機会にしたい。それなら従来9月中旬頃に行っていた戦没者記念追悼法要を5月の連休明け頃に動かして春季法要としましょう。そんなわけで始まった5月の春季法要の二回目。今年はどなたにご法話をいただこうかと思案していたところ、ふと浮かんだのが、山口県周南市長久寺ご住職の有國智光先生でした。
長久寺様とは2003年からインターネットを介してご縁をいただいていました。同御寺院のホームページ「山寺」にはその頃から当ホームページからもリンクを貼らせていただき、メールの交信もたびたびありました。『遊雲さん 父さん――小児がんを生きたわが子との対話』本願寺出版社の御著書もあるご住職に、いつか直にお会いしていろいろお話を伺いたい、ご門徒の皆様と一緒にご法話をいただきたいとかねてから願っていたのですが、ふと思い立って突然にお電話を差し上げたところ、思いがけずご快諾をいただいたのでした。
12日午後は、役員の皆さんに本堂の掃除、参拝椅子等の設置、花まつりの用意、おときの準備などをしていただきましたが、どうにも気になるのが当日の天気。ゴールデンウィーク以後、概して好天続きであったのが、よりによって13日は終日100%雨で、しかも嵐のような雨風に注意せよとの予報。門前の仏旗や提灯の設置は当日の天気具合を見て判断することにし、またいつもは浜縁に出す白象も、今回は堂内に避難してもらい、ご門徒方と一緒にお聴聞してもらうことにしました。
有國先生には、午後3時すぎにご到着いただいて以来、12日晩、13日の法要後と、長時間にわたって個人的にも法談をしていただきました。浄土真宗の御法義や仏教のことを念頭に置きながら、話題は生命や物理や宇宙や哲学などに。文・理双方の領域にわたってすぐれて博識の師に、この得がたい機会を逃さぬようにと、じつに様々なことをうかがいました。楽しかった時間の記憶とともに、今後しばらくはそうしたお話の余韻を味わわせていただくことになるでしょう。有國先生には貴重なお時間を割いて遠路お越しいただき、誠に有り難うございました。また、楽しく法要行事を推進していただいた役員のみなさん、有り難うございました。今回もイタリアン精進の新メニュー二種(ネギとこんにゃくのパスタとレンコンとドライトマトのオリーブオイル風味)に挑戦していただきました。繰り返しの味見のおかげで、当日のおときが一番おいしかったですね。そして、雨天にもかかわらず多数おいでいただいたご参拝のみなさん、本当にようこそお参りいただきました。またのおいでをお待ちしています。
「阿弥陀さまがね、阿弥陀と名乗りあげて下さったこと、これが大きいんです。
私が生きているという出来事は、じつは私という思いだけですくい取れるだけのもんでないんですね。もっとわけのわからんところまでね、ひろがっておる。言い方かえると、生きておるというのは、わけのわからんことにさらされておることなんです。ですから、生きておるということは安心なことでもなんでものうて、とんでもない怖ろしいことでもあるんですよ、御法義聞かせてもらなんだらね。……
みなさん、自分自身の死ということを考えたとき、いのちの底に、冷たーいもの、暗ーいもの、なんにも残らんもの、そういったものしか味わえんとしたら、それじゃあ、さみしゅうございませんか。御法義聞かせてもらわんと、いのちのことが分からんというのは、そういうことなんです。……
それではおおごとじゃと、私たちにとって、自分が生きておるという出来事のいちばん深いところ、私という思いがとどくそのむこうにはたらいてある大きなおはたらき。いうならば、一ついのちぞと名乗りあげて下さってあるのが、阿弥陀のお名乗りなんです。そのおかげで、私たちは、さみしいところに放っておかれておるんじゃあない。いうならば、大きないのちのはたらきに包まれて、こうやってすごさせてもろうておるんだと、うなずかせてもらうことができるんです。
生きておるということは大ごとなんですが、じつは寂しいところに放っておかれておるんではのうて、いのちの願い――それは阿弥陀さまのお慈悲と言いなおさせてもろうてもええ――に包まれて、あったかいおはたらきに包まれて、いまこうやってすごさせてもろうとるんですね。……まちがいなく一つ大きないのちのつながりへと抱きとっていくぞと誓うて下さってあるのが阿弥陀さまのはたらきなんです。「弥陀のお慈悲はぬくいでのお」というのは妙好人源佐さんのおことばでした。……」(午前のご法話より引用者取意抜粋)
有國先生には、折々にたくみなたとえ話やご自身のご体験をはさみ入れていただきながら、阿弥陀さまの願いのおたらきに恵まれるいのちのあたたかさについてお話いただきました。岐阜では耳にすることのすくない山口地方のお言葉とともに滋味深いご法話をして下さっておられるのを堂内の皆さんとともに聴聞出来たことは本当に有り難いことでした。今後ともご縁をいただければ幸いです。
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