ぜんとくじひろば
2013(平成25)年版
11月17日: 秋季永代経
本堂改修後の初めての公の法要を、向井了暢先生をお招きして営むことが出来ました。大工事を経て雰囲気も一新された本堂に皆さんにおいでいただき、喜びのなかに向井先生をお招きして法要をおつとめすることが出来て、本当に有り難いことでした。向井先生にはいつもながら滋味にあふれたご法話を、時にはお腹を抱えて笑うような逸話をまじえてお話しいただきました。誠に有難うございます。
6月1日〜10月29日:本堂改修工事記録、耐震工事・復旧編
6月〜7月 本堂耐震工事の始まり:土台・足固め墨付け加工取り付け
6月30日:地盤改修工事に引き続いて、中島工務店さんによる本堂の耐震補強工事が始まりました。多量の木材が運び込まれ、まずは外陣の外回りの柱と柱を木材でつなぐ足固めから。足固めの木材は、柱との微調整が必要なため、すべて現場で加工され、取り付けがなされました。技術と時間のかかる、大変なお仕事とお見受けしました。 | 7月7日:柱と足固めの木材とはボルトで固定され、さらに「仕口ダンパー」と呼ばれる耐震材が取り付けられています。足固めの作業は本堂外回りから内部へと、およそ7月いっぱいが費やされました。 |
7月11日:中島工務店の皆さん。もっと適切な写真があればよいのですが……工事の全般にわたって何度も何度も打ち合わせ・相談などを重ねていただき、おかげさまで安心して本堂改修事業を進めることが出来ました。 |
7月28日:堂内の足固めがかなり進んだ段階。 | 同日:外陣の大柱に施された足固め。 |
7月〜8月:耐震壁設置、床組・床張り
同日:足固めがほぼ終了して、本堂の各所に耐震壁を設ける作業が始まりました。本堂は壁面の少ない構造。その耐震性能を上げるべく、ぶ厚い荒壁パネルによって新たな壁が作られます。写真はそのための枠が内陣と鞘の間に設置された様子。 | 同日:本堂北東角。外陣の両角の唐戸は普段でも滅多に開放されなかった箇所。この部分も耐震壁となりました。 |
8月3日:足固めが終わって、床組が始まりました。 | 同日:耐震補強工事をしていただいた大工さん。未曾有の酷暑にもかかわらず、朝の7時前から日暮れの6時半前後まで、高い技術のお仕事を丁寧につづけていただき、本当に頭が下がりました。伺えば、下呂、高山、奈良と遠方各地からおいでいただき、6月から10月あたりまでの工事期間中は岐阜市内に長期泊まり込みでお仕事をしていただいたとのこと。心からお礼申し上げます。 |
8月8日:外陣の床組が進み、すでに床張りが一部なされています。 | 8月27日:堂内の床組・床張りの作業もあと内陣中央の板を復旧するのみとなりました。 |
9月2日:外陣の床張りの終了とともに、高い天井裏の小屋組を補強する工事が始まり、そのための木材が運び込まれました。 | 天井裏へは高くてとてもその様子を見に行く度胸がありません。 |
9月〜10月:浜縁の復旧、漆喰塗り替え
7日:一方、本堂の外回りでは、浜縁の復旧が始まりました。 | 19日 |
21日:本堂内外の漆喰がはがされてゆきます。 | 25日:漆喰の塗り直しとともに、荒壁パネルにも下塗りが施され、その上に白い漆喰で化粧がなされます。 |
10月7日:天井を見上げた絵。小屋組に補強が施されていることが確認されます。 | 同日:内陣奥の壁面の古い金紙は沈下のゆがみや工事によって皺ができたり破れてしまったので撤去されました。 |
8日:金紙張りの下地を貼る作業。 | 14日:下張りの完成。 |
同日:内陣の襖についてはその半分を耐震壁といたしました。ただし外見は襖と変わらぬよう、下張り〜襖張りがなされます。 | 16日:照明取り付け。この機会に堂内の照明をすべてLEDとし、あわせて照明の操作系統を見直しました。また照明の色を電球色に統一した結果、堂内の雰囲気がずいぶん温かい感じになりました。 |
17日:金紙張り。 | 22日:仏具搬入。須彌壇の設置作業。 |
同日:仏具搬入。この日に内陣の大きな仏具がまず入りました。 | 23日:外陣の飾りの照明が灯りました。 |
折しも台風27号の行方がどうなるかわからない状態であったので、畳の搬入は予定より一日早まって24日午前に終了。25日には内陣の荘厳や外陣の付属品の復旧、照明・音響設置調整作業の完了が一気に行われました。27日は、その本堂で前住職の一周忌法要をつとめさせていただきました。 |
29日:山門移動。本堂改修工事が完了して、さっそく境内に敷かれた鉄板が撤去され、あわせて山門が元の位置に移動されました。あれよあれよという間のことでした。 |
地盤・基礎改修工事と耐震補強工事とからなるこのたびの本堂改修工事は、このように、2月上旬から10月下旬までのおよそ9ヶ月弱の期間をもちまして完了いたしました。これもご門徒方、近隣の方々、関連業者の皆様のご理解・ご協力によるものと深くお礼申し上げます。なお改修工事はこの後も、本堂周辺の雨水排水路の整備、境内地歩道の整備へと続きます。その経過については引き続きこの場でもご報告させていただきます。
ともあれ本堂内については、11月からは日中であればいつでもどなたもお入りいただけるようになりますのでお気軽にお立ち寄り下さい。また特に11月17日にはご講師に向井了暢先生をお迎えして秋の法要があります。どうぞご参詣下さい。
*なお掲載の写真につきましてはこのたびも安達冨明様に一方ならぬご尽力をいただきました。記してお礼申し上げます。
6月14日:第37回善徳寺仏教婦人会総会・研修会
本堂の改修工事が下記記事のように進行するなか、今回は仏教婦人会総会および研修会を庫裡にて行わせていただきました。六月半ばの梅雨の時期というのに今年はすでに35度を超える猛暑がおそう日々ですが、当日はきびしい日差しも幾分かやわらぎ、また冷房の効いた広間ということで、それはそれなりに快適な会合となったようです。とはいえ暑い道中をご参集いただいた会員の皆様、ならびにご多用のなかご講師においでいただいて笑いとお念仏を届けていただいた富田祐尊先生には誠にありがとうございました。
テーマ 浄土真宗の仏事とみ教え
講師 富田祐尊師(大垣市、浄円寺)
プ ロ グ ラ ム
13:00 受付
13:15 1.開会式
1. 開式のことば
2. 副会長あいさつ
3. おつとめ(讃仏偈)
4. 住職あいさつ
5. 仏教婦人会綱領と「拝読・浄土真宗のみ教え」唱和
13:40 2.善徳寺仏教婦人会総会
1. 会長あいさつおよび24年度行事報告
2. 同年度会計決算報告
3. 会計監査報告
13:50 ……………休憩………………
14:00 3.研修会
1. 講話と質疑応答 富田祐尊師(途中休憩)
15:25 4.閉会式
1. 副会長あいさつ
2. 恩徳讃
3. 閉式のことば
15:30 解散
2月8日〜5月31日:本堂改修工事記録、地盤改修工事編
2月 本堂工事準備〜地盤工事の始まり
8・ 9日、山門移動: 本堂改修工事にともない、工事作業車の通路を確保するために山門が境内脇に移されました。移動そのものはあっけないくらいに終わったのでした。驚愕と感嘆。 | 17日、畳撤去後のお内陣 |
20・21日 仏具搬出 | 21日、ご本尊遷座。庫裡に御安置させていただきました。 |
22日、内陣の仏具を全て搬出しました | 27日、本堂の外側の欄干・縁・階段も解体されて業者さんの倉庫に一時保管していただきます。大工さんによれば丁寧な組木仕事がなされているとのこと。 |
15日、外部堀方試験杭打ち:本堂内外の仏具・建材が除去搬出される一方で、地盤補強工事が始まりました。本堂の不同沈下は地下約1.5mまでの地盤の弱さによるもの。そこで総計98本の鋼管杭を地下1.5mほどの安定地盤まで打ち込み、それを支持として新たな基礎が形成されます。その第一段階として本堂外側の補強工事がなされました。 | 27日、外部地盤補強工事:後堂から下向きに見た絵。本堂外側に打ち込まれた鋼管杭にコンクリートを流し込み、同時にその先端に鉄筋が触手のように付けられました。以後これを支持として鉄筋が張り巡らされたうえにコンクリートによる外部補強基礎が形成されます。 |
3月 地盤工事:鋼管杭打ち込みなど
2日:本堂の外側を取り巻く縁・欄干・階段が解体され、それとともに本堂床下のモルタルや土が取り除かれてゆきます。 | 7日:堂内の床材も撤去され、柱がシートで保護されます。 |
本堂内陣床下。「昭和のはじめにこの本堂を建造するさい、前々住職は内陣床下に瓶を埋めて音声が堂内に響くようにした」。前住職より伝え聞かされていたことでしたが、その瓶をこのたび初めて目にしました。 | 7日、本堂内の風景。床をめくって露わになったのは、土の地面とコンクリート基礎の上に柱が建つさま。堂内にたたずんでいると、昭和初期の本堂建立当時まで時間を遡行しているような気分になりました。当時の先人達のご苦労と情熱が伝わるようで、畏敬の念を覚えたのでした。 |
8日、本堂外部:コンクリートが流し込まれました。 | 12日、本堂外部:型枠が取り外され、地盤補強工事の先駆けとなる外部補強工事が一段落。 |
12日:来年(2014年)5月24日の当山における宗祖750回大遠忌法要に向けて、それを告知する表札が建てられました。 | 15日、地盤工事を担当いただいた五角産業さんと大工さん。後方の向拝にこれから打ち込まれる予定の鋼管杭が並んでいます。 |
16日、本堂の外部補強工事に続いて、いよいよ堂内に鋼管杭が打ち込まれだしました。鋼管杭の長さは本堂基壇1mと地面以下1.5mを合わせておよそ2.5m。 | 16日、鋼管杭は従来の柱基礎の付近に打ち込まれ、新基礎を支えることになります。 |
27日、本堂正面のあたりは従来の亀甲の基壇石組みを補強しつつ残していただきました。 | 27日、本堂正面。土が取り除かれて旧基礎が露出しています。柱を載せる礎石のまわりをこのようにコンクリートで基礎が形成されているのは、昭和初期の本堂としてはめずらしいと言われました。 |
30日:98本の鋼管杭がすべて打ち込まれ、いよいよ本堂の柱を支える基礎が再構築されてゆきます。本堂の柱基礎は何段階かに分けて改修されます。最初は本堂正面(北)から後堂(南)に向けて縦一列の柱が鉄骨で支えられながらジャッキアップされた上、旧基礎のコンクリートが斫(ハツ)られて中空に浮きます。 |
4月 地盤工事:旧基礎の撤去と新規基礎の形成
3日:旧基礎のコンクリートが斫られた柱下に鉄筋が組まれ、コンクリートが流し込まれました。 | 4日:コンクリートを流し込んだあと。新たな基礎のイメージがなんとなくつかめるようになりました。 |
17日、二本の向拝柱も同様に基礎改修されます。 |
20日:当山大遠忌法要に向けて第一回の法要委員会を開催させていただきました。 | この日は、法要当日の内容やそれにむけて準備すべき事、スケジュールなどについて打ち合わせを行うとともに、本堂の改修工事状況を実際にご覧いただきました。 |
26日:本堂を支える柱基礎部分の改修工事も終盤となりました。写真は本堂正面東北角から南に後堂に向けた一列の柱の旧基礎が削られてジャッキアップされた状態。礎石が鉄骨に仮溶接されて宙づりになっています。 | 30日:堂内の、残りの柱について旧基礎のコンクリートを斫っておられるところ。ご専門とはいえ、不安定なこの工程も淡々と安全にこなしていただいた五角産業の皆さんには敬服するばかりでした。 |
5月 地盤改修工事の終わり
7日:堂内の柱下の旧基礎がすべて除去され、新たな基礎の上に載せられました。 | 9日:堂内の全面に耐圧コンクリートが打たれる前に、まず向拝から縁の部分にかけて鉄筋が組まれ、コンクリートが流し込まれましたました。 |
工事監理者の高橋建築士(高橋建築工房)さんによる工事検査。これは堂内の配筋が適正になされているかを検査されている場面。高橋さんには本堂改修工事の工事内容及び業者選定の段階からお世話になりました。住職と二人での相談・打ち合わせから、役員会での工事説明、業者さん方の統括・打ち合わせ、そして工事の各段階でのこうした検査など、さまざまな局面でご尽力いただき、本当に助かりました。誠にありがとうございました。 | 15日:従来土が露出していた本堂床下の全面に、鋼管杭の支持上に鉄筋が組まれます。 |
17日:門前に大きなコンクリートミキサー車が横付けになって、いよいよ堂内床全面に大量のコンクリートが流し込まれます。 | 17日:柱下部分ばかりでなく、本堂床下全面に耐圧コンクリートが形成されます。 |
22日:柱下の礎石部分についても丁寧にコンクリートで基礎が形成されて、本堂の地盤改修工事がほぼ終了しました。以上の工程によって、本堂が建ったままでその下にいわば80数本の脚を持つテーブルが作られたようなイメージでしょうか。安定地盤まで脚の届いた大きなテーブルの上に、本堂があらためて載ったことになります。 | 22日:内陣床下の瓶は、そのまま埋められたままで保存されました。 |
25日:正面の石段までもあらためて組み直していただいたのはありがたいことでした。 | 29日:わずかに南西方向に傾いた本堂がワイヤーと紐によって建て起こされました。地盤改修工事は予定の工期よりも早く完了していただきました。これからは中島工務店さんによる本堂そのものの耐震補強工事がはじまります。 |
2月3日 本堂改修工事起工式
本堂改修工事の起工式を本堂にて執り行いました。お寺から総代さん三名を含む善徳寺役員と同婦人会役員の皆様など、施工業者として高橋建築工房さん、中島工務店さん、無為自然さんの皆様にご出席いただきました。
思い起こせば、ここに至るまでには、本堂南西部に顕著な不同沈下が気になって2009年6月に床下調査をしたことに始まり、その後、十数回にわたる総代会、役員会でのご協議・ご承認をいただきながら本堂地盤調査と本堂耐震性能診断調査、本堂の地盤改修および耐震補強工事の工法および業者選定などを進めてまいりました(その初期段階には多田アソシエイツさんにもお世話になりました)。
そして2011年冬の寺報(無尽燈)にてご門徒の皆様に本堂改修工事と当山での親鸞聖人750回大遠忌法要の勤修を一体の事業として行わせていただきたい旨を明らかにし、翌2012年1月6・7日の報恩講にて参詣のみなさまへの口頭で発表、さらに2012年3月4日には本堂にて事業説明会を開いて寒中にご出席いただいた80余名のご門徒の皆様にご理解とご協力をお願い申し上げたことでした。このきびしい現代の社会状況にあって、本堂を改修することによってお寺の礎をあらためて築きなおすことにどれほどご賛同・ご協力をいただけるのだろうか。そんな不安のなかで、いまここに浄土真宗のみ教えを、仏教の法灯を、伝え広める一拠点としてこのご本堂を改修させていただく意義についてくりかえし問いなおし、ご門徒の皆様にも不十分ながらお伝えしつつ、2012年は当事業の実行に向けて上り坂を少しずつ上らせていただいたことでした。この間、特に役員の皆様には 一方ならぬお世話をいただけたことを心よりお礼申し上げます。
本堂改修工事は10月末をめどに進められてゆきます。全体は中島工務店さんに請け負っていただきますが、本堂が建ったままでの地盤改修工事については特に専門の五角産業さんにお願いし、さらに中島工務店さんに耐震補強工事をしていただく手順です。改修工事の経過については本ページでもおりおりにご報告いたします。その際には、当事業の映像記録をご担当頂く安達冨明さんご撮影の写真も随時利用させていただきたく思います。
1月4日〜7日 当山報恩講(含準備)・遷座法要
ご絵伝第三幅第六段: 板敷山の山中で山伏たちが親鸞聖人を待ち伏せする場面(右半分)と、草庵に乗り込んだ山伏が、親鸞聖人の前で回心する場面(左半分) |
比較的穏やかな天候で明けた2013年。前住職不在のなかで初めての報恩講でしたが、おかげさまで滞りなくおつとめすることが出来ました。これもひとえに、1月4日から準備をしていただいた役員の皆様、ご参詣のご門徒の皆様、そして大阪の四条畷市からおいでいただいた加藤真悟先生(自然寺ご住職)のおかげでです。誠にありがとうございました。加藤先生にはやわらかな雰囲気をもって堂内を包んでいただきながら浄土真宗のみ教えをお話しいただき、心にしみいる思いがいたしました。
今年の報恩講ではまた、2月から始まる本堂改修工事の端緒となる「遷座法要」をご参詣の皆様とともにおつとめさせていただきました。ごく簡素ながら、工事に先立ってご本尊の阿弥陀さまを庫裡に移させていただくおつとめをして、いよいよ改修工事が始まることを感謝の内に実感したのでした。
行事次第:
1月4日午前 報恩講準備 お華束づくり
5日午前 〃 お華束づくり、幕張り、おとき準備、他
6日終日 報恩講当日
10時 勤行・布教
12時 お斎(食事)
13時半 勤行・御伝抄拝読・布教
18時 勤行・布教
7日午前・午後 報恩講
10時 勤行・布教
12時 お斎
13時半 勤行・布教
15時半 遷座法要
ご講師: 大阪府四条畷市 自然寺ご住職 加藤真悟師
写真記録:
4日〜5日:報恩講準備(お華束づくり)・本堂等設営・おとき準備
6日〜7日:報恩講・遷座法要
記録写真のうち、直前のおとき風景、遷座法要、そして次下の加藤先生のお写真については、当法要事業の記録をご担当いただいた安達冨明さんが撮影されたものです。ありがとうございました。
自然寺ご住職加藤真悟師 |
真っ暗闇のなかでぶつかってゆくと、それが何なのか、何を意味するものなのかわからなない。またぶつからなければならんかもしれんと不安でおののきながら歩まなければならないのかもしれんけれど、光が入り明かりがともされたときに見えてくる世界というのは、あきらかにそこに一つ一つ意味が与えられてくる。変わってゆくちゅうことです。
「大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮びぬれば、至徳の風 静に、衆禍の波 転ず。」(教行信証行巻)
「衆禍」とはもろもろのわざわいちゅうことです。もろもろのわざわいが転じられてゆく。わざわいとは、われわれがわざわいと思っているものですね。それが転じられてゆくんだ。光に照らされることによってわざわいが転じられてゆく世界があるんだ。……
念仏なんか言うはずのなかったこの私の口に念仏を出さしめてくださるはたらきが、いまここにないと私の方からは「南無阿弥陀仏」のお念仏は出てこんちゅうことです。念仏を出さしめてくださるはたらきがあるちゅうことです。私が私の手を合わさせるはたらきがあるちゅうことです。それがなかったら私にはなんも備わっておらんのです。……
加藤先生には、やさしく親しみやすい大阪弁によって、浄土真宗のみ教えを味わい深くお話しいただき、誠にありがとうございました。おかげさまで年の初めから実りある聴聞の時間をご門徒の皆さんとともに過ごせました。
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