09/01 『ニュートン』2017年8月号におもしろい記事があったのでメモ。太陽系外惑星が次々と見つかっている昨今、私たちの住む天の川銀河に、一体どれだけの宇宙文明があるのかを算出してみようというのです。
直径約10万光年の天の川銀河にある恒星の数は約2000億個。そのうち約1300億個の恒星に一つ以上の惑星がある。その中で生命を育むことのできる惑星の数も約1300億個。さらにそれらに生命の誕生する確率は?高度な文明が誕生する確率は?電波通信の技術を持つ文明が継続する時間は?...といった係数を「ドレイクの方程式」にしたがって編集部が想定した数は、1万3000。天の川銀河のなかだけで、1万3000もの宇宙文明。
さらに、宇宙全体には1000億の1000億倍もの恒星があるから、宇宙は知的生命であるれているのかもしれない、といいます。
もっとも、この1万3000という数は、たとえば生命に適した惑星上に生命が実際に誕生する係数を1、つまり条件さえ整えば生命は必然的に誕生するとみなした上での計算で、それはちょっと盛りすぎではないかというツィッターの反応もありました。1959年に端を発するというSETI「地球外知的生命体探査(Search
for Extra-Terrestrial
Intelligence)」計画は、いつか実際に地球外文明からの信号をキャッチすることがあるのでしょうか。
SETIの先に地球外覚者探査(Search for Extra-Terrestrial
Buddhas, SETB)があってもよい、というのが大乗仏教的発想でしょう。十方の三千大千世界には無数の諸仏(覚者)がましますと大乗は説きますから。もっとも、経典の叙述と現実の宇宙探査に一線を画すべきことはいうまでもないことですが。などとわざわざ注記するのも野暮なほどの夢想の類ですけれど、今のところは。
05/02 庭掃除が追いつきません。草は日ごとに生えてくるし、まだ常緑樹がどんどん古い葉を落として葉を新しい葉を付ける時期。やっと境内をひとまわり掃除したかと思うと、早めに手を付けた場所がもう荒れている。ほうきの使いすぎでテニス肘になった両肘が痛い、腰が痛い、と言いながら、今は外に居るのが心地よいこともあって、ついつい無理をしがちです。連休で続く法事の合間に、ひたすら掃除に励む日々です。
2017/03/22 『五百頌般若経』梵本刊行のこと
李学竹博士との共著で『五百頌般若経』のサンスクリット本校訂本を刊行させていただきました。序文(中・日・英)、サンスクリット原典とチベット訳の校訂本、漢訳、サンスクリット写本のローマ字転写などからなります。手元にはすでに昨年中に届いていましたが、先頃刊行元のサイトでも紹介されました。アマゾンはまだのようです。ここでは具体名はひかえさせていただきますが、望外の機会を与えていただいた先生方、ご教示をいただいた先生方、そしてもちろん李博士に、深謝いたします。
ご紹介もかねて、序文の最初部分を少し転記します。
『五百頌般若経 』(PŚPP と
略す) はこれまでほとんど注目されることがなかった大乗経典である。大乗経典のなかでも特に重要な位置を占める般若経文献の一つでありながら、これまでのところ本経に対してはインド撰述の註釈書が作られた形跡も確認されず、インドの論師による言及もアスヴァバーヴァ(無性)
による『大乗荘厳経論註』が知られるにすぎない。……現代の仏教研究においても、従来チベット訳と一本の漢訳のみでしか知りえなかった本経に対する言及は非常に少ない。
しかし以上のことはこのテキストが持つ固有の価値を損ねるものではない。PŚPP
は古代インドにおいて瑜伽行唯識派 (瑜伽行派と略す) の初期思想が形成された後に編纂されたと考えられるものであり、同派の影響をあからさまに表白した『般若経』として異彩を放つ。したがってここにそのサンスクリット原典を公開することは、PŚPP
自体の研究にとって大きな進展をもたらすことはいうまでもなく、さらに『般若経』ないし大乗経典の史的展開を解明する上でも有益であろうし、また瑜伽行派に関連する新たなサンスクリット文献を提供するという点からも意義をもつだろう。本書は現在確認されるかぎりでは唯一の写本にもとづく世界初のPŚPP のサンスクリット校訂本である。……
より詳しくはこちらの拙稿(佛教文化研究所紀要 50, 2011)もご参照ください。この紹介論文から6年もたってしまいました。
EメールやSkypeなどがなければできない仕事でした。李博士と京都で椅子を並べながらもそれぞれのPCを接続しないで協議・編集したときと、海を隔てながらもSkypeで同じ作業をしたときとでは、最新のテキストを正確かつ瞬時に共有できる分、後者の方がより効率的であったのに驚いたことでした。
『般若経』は空の教えを説くお経で、浄土真宗のみ教えとはかけ離れているように受け取られがちです。けれども、『正信偈』にも出てくる龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師は、『般若経』の空の教えを学ばれつつ、お念仏の教えを深められました。天「親」と曇「鸞」のお名前を一文字ずつとられて自ら「親鸞」と名乗られた宗祖のみ教えにも、空の教えが深く浸透しています。
12/22
怒濤のごとく日々がすすみ、2016年もあと十日。今年から当山報恩講の日程を早めたため、寺報などの文書作成、定期役員会などをほぼひと月前倒しで行い、その分、いくらかは余裕を持って年末に向かいつつあります。
そうそう、昨日子供からびっくりネタを教えられました。サカナクションの「ナイトフィッシングイズグッド」という曲のPVのロケ地が当山のすぐ近くだと、友達から聞いたというのです。さっそくyoutubeで再生してみたら、本当に、当山の裏駐車場から歩いて50メートルほどの新荒田川にかかる橋の上あたりの景色がずっと使われています。サカナクションが現在お気に入りの子供によれば、ボーカルの山口一郎という方は北海道の出身ながら、岐阜にも深い縁があるとか。PVは橋の上から南に向かって夕方の川の風景を写していますから、北に位置する当山は見られませんが、それにしてもこんなローカルでなにもない場所をよく長々とPVに使ったものです。もしかするとボーカルの方にとって忘れがたい場所だったのかもしれません。
11/27 追記
Tibetan Transliteration Converterとは別に、ワイリーテキストをユニコードテキスト(チベット文字)に変換してくれるオンラインサービスがあったのでご報告しておきます。こっちの方はDigital Tibetanという充実したサイトのConversion Toolsの中、Bidirectional online converter between Wylie and Tibetan Unicodeとして提供されているものです。その名のとおりこちらはワイリーテキストとユニコードテキストとを双方向に変換してくれます。画面もシンプル、出力するユニコードチベットフォントの種類と大きさも選べます。信頼性の点からも使い勝手からしても、こちらのサービスを使った方が良さそうです。また同じConversion Toolsの中には、ユニコードテキストもしくはワイリーテキストを入力するとその発音を示してくれるAn online Tibetan Unicode to phoneticsconverter...というオンラインツールもあって、これも役に立ちそうです。
11/24 Windows上でのチベット語の取り扱いの現状覚書(11/27に追記)
སངས་རྒྱས་ཚེ་དཔག་མེད་ཀྱིས་ལུང་བསྟན་པ།།
ངས་ནི་སྔོན་ཚེ་སྨོན་ལམ་འདི་སྐད་བཏབ།།
སེམས་ཅན་གང་གིས་ང་ཡི་མིང་ཐོས་ན།།
ང་ཡི་ཞིང་དུ་རྟག་ཏུ་འོང་བར་ཤོག།
17 །།
ང་ཡི་སྨོན་ལམ་བཟང་པོ་དེ་རྫོགས་པས།།
འཇིག་རྟེན་ཁམས་མང་དག་ནས་སེམས་ཅན་འོང།།
དེ་དག་ང་ཡི་ཞིང་དུ་ལྷགས་ནས་ནི།།
དེ་དག་སྐྱེ་བ་གཅིག་ལས་ཕྱིར་མི་ལྡོག།
18 །།
『無量寿経』東方偈第17-18偈。対応箇所のチベット訳は、香川孝雄『無量寿経の諸本対照研究』p.266による
コンピュータに強くない者でも、ようやくWindowsパソコンでチベット文字を使えるようになってきたようだ、というお話です。
近年加速度的にユニコードが普及して、西欧のキリル文字やギリシャ文字はもちろん、アジアのアラビア文字、タイ文字、デーヴァナーガリー文字、チベット文字などなど、様々な言葉で使われる文字体系に固有の統一コードが与えられ、世界中のコンピュータで等しくこれらの文字が容易に扱える――つまり、ディスプレイ上で見て、印刷して、入力・編集することができるようになりつつあります(チベット文字についてはWindows 7以降ではMicrosoft Himalayaというフォントが標準で入っていて、同フォントが入っているPCであれば上のチベット文も見られることと思います)。もっとも、この状況はWindows以外のOS環境(Mac OS, IOS, Android)でも同様で、特にMac OSでは以前からチベット語環境が整っていました。
Windowsに絞ると、PC上でチベット文字を扱うにさいして残されていたのは入力の問題でした。この秋にMicrosoftからの通知にせかされて手元のPCをすべてWindows10にアップデートしたのを機に、あらためてこの点を確認してみたのですが、Microsoftの対応は結論としては残念なものでした。
詳細は省略しますが、Windows上でのチベット文字入力は少し前からサポートされてはいました。ただし問題はその入力方法。チベット語入力用に特別に配列させたキーボードを使って複雑なチベット文字を構成しなさい、というものなのです。
設定は簡単で、Windows10ならば、コントロールパネル→「時計、言語、地域」の項目から「言語の追加」をクリック→言語の追加から「チベット語」を選ぶだけです。あとはディスプレイ下のタスクバー右端の言語設定アイコンを左クリックすればチベット語入力モードが選択できます。ただしその入力は上記のとおり、一つのチベット文字を入力するにはその文字が手元のキーボードのどれに振り当てられているかを探さなければなりません。日本語のひらがな変換方式によるキーボード操作に近いけれども、もっと複雑で、とてもではありませんが、そんな入力方式にお付き合いできません。「使えねー」の一言につきます。(なおWindows上でチベット文字を扱うために、たとえばこんなソフトも市販されていますが、有料であるうえにもともとユニコード非対応だったことの制限があるようです。)
ところで、チベット文字を製版印刷やコンピュータで容易に扱えなかったころは、チベット語をローマ字で表記しました。日本語をヘボン式でローマ字表記するようなものです。 チベット語をローマ字表記する方式にはいくつかありますが、その中でワイリー方式は外字を使う必要がないという利点があります。たとえば上記引用のチベット訳『無量寿経』「東方偈」第17偈の第1句をワイリー方式で表記するとこうなります。(「東方偈」第17-18偈チベット訳に対応する漢訳、梵文(サンスクリット文)とその和訳については、すでに11/16分の記事に言及しましたので、そちらも合わせて御覧下さい。)
སངས་རྒྱས་ཚེ་དཔག་མེད་ཀྱིས་ལུང་བསྟན་པ།།
sangs rgyas tshe dpag med kyis lung bstan pa//
このうちསངས་རྒྱས (sangs rgyas サン・ゲー)は梵文のbuddha(ブッダ、仏)に、ཚེ་དཔག་མེད (tshe dpag med ツェ・パク・メ)はamitāyu(アミターユ(ス)、無量寿)に対応します。無量寿仏のチベット語はསངས་རྒྱས་ཚེ་དཔག་མེད(サンゲー・ツェパクメ)になります。(蛇足ながら、無量光仏(amitābha-buddha)はསངས་རྒྱས་འོད་དཔག་མེད(sangs rgyas 'od dpag med サンゲー・ウパクメ))
これまで、チベット文献については、多くがローマ字に転写したものをデータとして蓄積してきましたし、また個人の翻訳ノートや論文・書籍などの印刷でもワイリー方式等に従ったローマ字転写が用いられてきました。PCからチベット文字を本気で入力しようというのであれば、ワイリー方式等で入力し、チベット文字として自動的に出力されるようなものでなければなりません。それはちょうど日本語をローマ字変換で入力するようなもので、特にワイリー方式ならばQWERTYのキーボードに慣れていればブラインドタッチでチベット文字の入力が可能です。また、これまで蓄積されてきたチベット文献のローマ字データも簡単にユニコードのチベット文字に置換できるツールが不可欠です。チベット語仏教文献についてはACIP(Asian Classics Input Project)という組織が、それこそ5インチのフロッピーが主要媒体であった時代から電子データ化を進めていて、いまでは充実したアーカイブになっています。ACIPでは基本的にワイリー方式によってチベット文献がローマ字データ化されていますが、なぜか大文字が使用されていて非常に読みづらい。これをユニコードのチベット文字に置換できれば、格段に使いやすくなって、ますます有用なチベット文献電子データとなるはずです。
前置きが長くなりました。Windows10のチベット語の対応に不満を思いつつ、ふとウィキペディアの「ワイリー方式」の項目を覗いてみたら、そこにとても有用なリンクが貼られていたので忘れないように覚書しておこう、というのが今回の雑記帳の趣旨です。
一つはGrigory Mokhinという方のTiseというソフトを公開したサイト。このソフトはちょうど日本語のATOKやMicrosoft
IMEのような機能を持つもので、同サイトからversion
2.0をダウンロードして解凍、フォルダを開いてtise64.exeというごく小さなプログラムファイルをクリックすると起動します。といっても、アイコン自体もツールバーのインジケータに隠れているので一見なにも変化していないようですが、Shift+SpaceキーによってTiseがon/offされます。Wordなどの使用中にShift+SpaceキーでTiseをonし、ワイリー方式でチベット語を打ち込むとチベット文字がいとも簡単に表示されます。私が使用した環境はWindows10とWord2010ですが、危惧されたATOK(2014)との衝突もなく(両者が起動しているときはTiseが優先されます)、問題なく利用できます。検索窓の中でも、もちろんチベット文字が使えています。ちなみに上記の東方偈のチベット文も、Tiseによって入力しました。インジケータに隠されたアイコンを左クリックすればいつでもプログラムを終了することが出来ます。私はCドライブ下の<Program
Files>フォルダに、解凍して出来た<tise-2.0>フォルダをそのまま移動させ、その中のtise64.exe右クリックしてデスクトップにショートカットアイコンを作成、必要なときにTiseを起動させています。
もう一つはTibetan Transliteration Converterというサイトサービスです。ブラウザー上でローマ字のチベットテキストをユニコードのチベット文字等に置換してくれます。Inputにワイリー方式やACIP方式などを選択し、OutputにUnicodeを選択して下の入力欄にチベット文を一行もしくは複数行入力、submitボタンをクリックすると、下段にユニコードのチベット文が出力されるようになっています。これまで個人で、あるいはACIPなどが蓄積してきたチベット語データも、入力欄に必要部分をペーストすれば容易にチベット文字データに置換して利用できるわけで、実際には先のTiseよりもこちらの方が有用かもしれません。特定のOSに依存しないのも利点です。(ただしこのサイト、アドレスからして中国のサイトのようですが、それ以上のことが分からないのがちょっと不満もしくは不安かもです。)
ということで、チベット語をチベット文字によって扱うというごく基本的なことがようやくWindows上で出来るようになってきたわけです。ただし、TiseもTibetan Transliteration Converterも実用レベルに達しているとはいえ完璧ではない。さらに、Wordのようなワープロソフトの行送りなどがチベット語にも対応するようになるのはまだまだ先のことでしょう。個人的なノートにはすでに十分にチベット文字を使えても、いざ印刷物の版下にでも使おうとすると不満が残ることでしょう。またPCでチベット文字が扱えるようになったとはいえ、ワイリー方式などによるチベット文献のローマ字データの有用性は当分ゆるがないでしょう。特定の語ないし文章がチベット大蔵経のどの文献のどの箇所に見出されるかを探し出すといった、それこそコンピュータならではのグローバルサーチを行うには、蓄積されてきたローマ字テキストを利用させてもらわねばなりません。検索ツールの方も、愛用の「秀丸」はユニコードをサポートしているとはいえ、さすがにチベット文字を扱うには現状では不具合があります。文章を読むにしても、チベット文字の方が見やすいことは確かですが、少し慣れればワイリー方式などのローマ字表記のものでもまったく苦になりません。やがてチベット語はすべてチベット文字を用いて読み書き調べることが標準となることでしょうが、今しばらくは、文献の入力・蓄積・検索などにはローマ字テキストを用い、特にチベット文字で表示・印刷したい場合に限って部分的にローマ字テキストをチベット文字テキストに置換して利用する、というのが妥当なところかもしれません。
11/16 無量寿経・阿弥陀経の新訳
其佛本願力 聞名欲往生
皆悉到彼國 自致不退轉
amitāyu buddhas tada vyākaroti
mama hy ayaṃ praṇidhir abhūṣi pūrva |
kathaṃ pi sattvāḥ śruṇiyāna nāmaṃ
vrajeyu kṣetraṃ mama nityam eva ||17||
sa me ayaṃ praṇidhi prapūrṇa śobhanā
sattvāś ca entī bahulokadhātutaḥ |
āgatya kṣipraṃ mama te 'ntikasmin
avivartikā bhontiha
ekajātiyā ||18||
(17)そのとき、アミターユ〔ス〕仏は記説される。
『これは実に、わたくしの前世の誓願であった――
<衆生たちは、〔わたくしの〕名を聞いて、
どのようにしてでも、まさしく常に、私の国土に到りうるように>――。
(18)わたくしの、この卓越した誓願は満たされた。
そして、衆生たちは、多くの世界からやってくる。
かれらは、すみやかに、わたくしのもとに来て、
ここで、一生の間、退転しない者となる』〔と〕。
今年の5月に、藤田宏達先生(北海道大学名誉教授)による『新訂梵文和訳無量寿経・阿弥陀経』法蔵館が刊行されました。近年の浄土教研究として特筆すべき成果です。訳者はすでに1975年に『梵文和訳無量寿経・阿弥陀経』を同出版社から出され、以来、現在得られる限りの両経の梵文写本を照合され、改めて2011年5月に新たな梵文校訂本『梵文無量寿経・梵文阿弥陀経』(法蔵館)を刊行。そしてじつに40年にわたる周到かつ綿密なご準備を経て、今回の新訂訳を出されたことになります。和訳本は1975年版と同じく康僧鎧訳『無量寿経』あるいは鳩摩羅什訳『阿弥陀経』と対照させて梵文和訳が示され、巻末に詳細な注記と語彙索引が付録。浄土教に関心を持つ方はぜひ手元に置きたい一冊です。旧訳本は絶版してから最近までとてつもない高値で古本市場に取引されていて、私もコピーを綴じたものを利用していました。
上記「東方偈」の引用部分は、阿弥陀仏が衆生を救済するために本願をたて、それが成就されたことを詩文(偈頌)の形で簡潔に説いた有名な箇所。対応箇所の梵文和訳は新訳pp.131-132からのものです。その原文となる梵文は、当ホームページにも電子データが収録してある足利本(L_Sukh)ではp.46.18-25、藤田宏達先生による新校訂本ではpp.55.11-56.6に相当します。無量寿経・阿弥陀経の梵文に関しても、今後はこの新たな藤田宏達校訂本が標準となってゆくことでしょう。
09/03 サイトのアドレス変更にともなって
2000年に「無盡燈」を開設して以来使用していたURLアドレスhttp://mujintou.lib.net/ですが、このたびhttp://mujintou.net/に変わりました。しばらくは従来の旧アドレスのホームページにアクセスしていただいても自動的に新アドレスのホームページに移動するようになっていますが、ブックマークの更新をしていただきますよう、どうかよろしくお願い申し上げます。
サイトのアドレス変更はちょっとしたきっかけからでした。7月下旬あたりmujintou.lib.netという、やや特殊なドメイン名を使用するウェブサイトサービスを利用していることに起因する小さな問題が発生して、それを解決するためには独自ドメインを取得するのが確実であるということに落ち着いたのでした。独自ドメインの取得、サイトの移動に要する手間などを考えると尻込みする話ですが、実際にはウェブサービス会社のご提案にメールでお返事しただけ。移行作業はすべて会社のご担当の方にしていただけました。さいわいなことに今回のケースでは移行に伴う特別料金も発生せず、希望のhttp://mujintou.net/というドメイン名もいただけました。今後独自ドメイン名を維持のための費用が必要となるものの、それも思ったほどのことではありません。まことにあっけないほどでした。サービス会社の方には迅速かつ丁寧な対応をしていただけたと感謝しています。
ついでにほんの余談を。
2000年当時からのPCあるいはインターネット環境をふりかえってみると、インターネット以前/以後の激変ほどではないものの、確かに変化はありました。ブログが現れ、さらにfacebookやTwitterなどのいわゆるSNSが急激に普及したことも一つ。けれども個人的にはクラウドサービスの充実の方がありがたく思っています。
Dropboxは、ドキュメントなどのファイルフォルダをDropboxのフォルダの中に作ってしまうと、例えばWordで作成した文書を保存した瞬間に手元のPCのハードディスクにだけでなく、クラウド(つまり地上のどこかのサーバー)にも保存されることになります。たとえ災害などで手持ちのPCや外部記憶媒体のファイルデータがすべて破損してしまっても、クラウドに保存されたファイルは無事である可能性が高い(もっとも、その引き替えに個人データ漏洩のリスクが発生するわけで、この点をどう評価するかがこの手のクラウドサービスを利用するか否かの分かれ目になることはいうまでもありません)。また便利なのは、クラウド上にコピーされた文書ファイルが、ほぼ瞬時にべつのPCやタブレット、スマートフォンなどからも利用、更新することができる点です。自宅PCで文書ファイルを途中まで作って保存、それを外出先でノートPCで読み出して手直しして更新、さらにその続きを自宅PCで読み出して作業の継続...
つまりデータのバックアップと同期の問題が一挙にクリアされて、これは個人的には画期的なことでした。もっとも、現時点では同様のことができるクラウドサービスの数も多くなって、どれを選択利用するかにかえって困ってしまう状況となりました。それと、大切なファイルについては、さらに念のために手元のUSBメモリや外付けハードディスクなども時折バックアップしておくのがよいかもしれません。
もう一つ、Evernoteもおすすめです。いただいた名刺、会合のレジュメや、ちょっとしたメモなど、断片的な情報を保存するにはうってつけのソフトかと思います。1970年代から80年代にかけて京大式カードというのがはやって、B6版の少し厚手のカードにあらゆる情報を定型的に保存・整理することが推奨されました。Evernoteはこれを現代的に進展させたものともいえます。デジタル化されたデータは文字のみならず、写真(それも位置情報付)などの画像、音声の種類を選びません。タグを用いた分類や検索の威力は紙のカードを用いていた時代からすれば想像できないほど。またクラウド対応ですから、データの入力・同期・閲覧も、ネットが使える状況ならば時・場所・機器を選ばないところが画期的です。講義や会議などで聞いたちょっとした(けれども重要そうな)情報を配布されたレジュメなどに書き殴って、後になって「たしかこの件についてはあの方がなにかおっしゃっていたなあ」と思い出しても肝心のレジュメをどこかに失ってしまって残念なことをしたという経験をお持ちの方ならば、Evernoteは試してみる価値があるかもしれません。たとえば外国語の名詞、動詞の変化表のようなものを画像データにしてデジタル機器をちょっとした文法書がわりにするような場合を考えても、Evernoteがとても便利です。ただしそのためにはもちろん手元にノートPCやタブレットやスマートフォンといったデジタル機器を携行していなければならないわけで、結局のところ別の新たな束縛と手を結んだにすぎない、ということかもしれません (^^);
07/22
いったいこの国は戦争のできるしくみを整えようとしているのか。少し前ならば、おいおい、そんな大げさな、と一笑に付されたようなことが現実主義の名の下で本当に実現されようとしています。当然のことながら、その流れに強く反対します。
02/25
呑気と見える人々も、
心の底を叩いて見ると、
どこか悲しい音がする。
夏目漱石『吾輩は猫である』より
この夏目漱石の文章ですが、おそらく20歳前後の頃に知って以来、なんとなく折々に思い出します。といっても一言一句正確に、というのではなく、「どんなにのんきで陽気そうな人でも、心の奥には悲しみをたたえているんだ」といった趣旨のことばを、たしか漱石先生は言っていたよなあ、といった程度にですが。
私は小説を読んでもほとんど忘れてしまうことの方が圧倒的に多く、そのなかの一文が(その趣旨だけでも)記憶に残るというのはとても珍しい。いったいなぜなんだろう、と、このことばを思い出すごとに不思議に思ってしまうのですが、たぶんそれは、その頃の自分にとっては大げさにいえば救いの言葉となったからなのでしょう。自分の心の奥底に隠した悲しみをもてあましていたときに、漱石先生は、いや、そんなのは誰にでもあるものなんだよ、と教えてくれた。そう受け取ったのでしょう。
それはそうと、このことばが『猫』の最後部分にあることを確認したのはつい最近のことで、それまでは『坊っちゃん』あたりにあったのだろうなあとばかり思っていました。それで困惑するのは、自分が『猫』を通読したという記憶がないことです。読んだことを忘れてしまったのか、それとも、ひと伝えにこのことばを知ったのか。ひょっとするとこの言葉を教えてくれたのは亡父だったのかもしれない、と、あやふや記憶をさぐっているこの頃です。
02/18 寒い日が続きます。日本列島は今どんな風に風が吹き荒れているのかが一目で見られるEarthWindMapというサイトがあることをこの冬に知って、ブックマーク。日々変化する風の模様に飽きることがありません。
2015/01/13 再開: 2011年の震災以降しばし雑記帳に記せるような言葉を失い、そうこうするうちに本堂の不同沈下に対応すべく調査、協議・打ち合わせ、工事、そして宗祖750回大遠忌法要ならびに本堂改修落慶・住職継職奉告法要と、あっという間に四年弱が経ってしまいました。その間に2013年11月21日には前住職の往生もありました。その間なにか我が身に得るものがあったかと振り替えれば、額の面積が増広したぐらいのものでしょうか(苦笑)
年改まって雑記帳をもう一度開かせていただこうと思いたちました。とはいえ、あいかわらず更新は遅々として進まないものと存じますが、おつきあいいただければ幸甚です。
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付け足し: アバターとアヴァターラの距離(2004/3/13)