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付け足し: アバターとアヴァターラの距離(2004/3/13)

 


2003/7/6 「毎日うっとうしい日が続きますねえ」、「本当にそうですねえ」、
という時候のあいさつを、一日に何度もかわす季節です。ただ、「早く梅雨が明けるといいですねえ」と、さらに聞かれると、私はちょっと口ごもってしまうのですが、皆さんはいかがでしょうか。梅雨が明けたら今度は灼熱の夏。露天に停めておいた車に入ったときの暑さ、いつ果てるとも知れない連日の熱帯夜……毎年出る愚痴ですが、正直いって、夏はうれしくありません。しかしそうもいっていられませんね。

・もう一月半も前のことになるのですが、5月末のころのことです。いつものようにコンピュータの電源を入れ、ウインドウズが立ち上がる画面を見ていたら、突如としてファイルのエラーメッセージが出てきて、そこでコンピュータが止まってしまいます。不良ファイルが出て、修復できないけれどもよろしいか?といったような確認をうながしているのですが、こちらは何がどうなったのかわかりません。よろしいかと聞かれたって、こちらは全然よろしくないのだけれども、とにかくOKのボタンをクリックすると、ほどなくしてまたファイルのエラーメッセージ……

これはやばい、と思いました。エラーメッセージはその後も出続け、一向にOSは立ち上がりません。リセットボタンをかけて再起動させてもダメ、セーフモードで起動させてもダメ。ここに至って、どうやらハードディスクに致命的な故障が起きたらしいことを知りました。

雑用の忙しさもあったのですが、それ以上にコンピュータの環境設定を一からやり直さなければならないことがイヤでイヤで、一週間、なにもせずに放っておきました。それからしかたなく、ハードディスクを新たに購入してコンピュータに接続し、OSと常用のソフトをインストールし、インターネットやLANの設定をし……ずいぶんの時間を費やしてしまいました。

幸い、こわれたハードディスクからデータファイルを救出させることには成功したので、最悪の事態は防げたのですが、それにしても大変な目に遭いました。コンピュータ環境の修復は、必要に応じて少しずつ行っているので、実をいえば、まだ100パーセント終了したわけではありません。思えば事故が起きる前から、故障したハードディスクには不良セクタが見つかったり、ときおりひっかかるような異音がしていました。すこしの労力とお金を惜しんだばかりにこんなことになってしまったのが悔やまれます。

・7月に入る前後、ちょっと、かつてガンダーラと言われた地域やインドのカシュミール地方の地理を知りたいと思うことがあり、インターネットでインド・パキスタン・アフガニスタンあたりの地図がないかと調べてみました。すると、Perry-Castañeda Library Map Collectionという地図サイトから、さまざまな関連地図を得ることができて、大げさにいえば、少し興奮してしまいました。およそ100年ほど前のインド全土の地図や、インド・パキスタンをほぼ網羅する25万分の一の地図など、非常に有益な資料に机上から簡単にアクセスできることに、驚きました。


とまあ、コンピュータというのは本当にやっかいだけれども、同時に便利でもあるなあ、という、ごくありふれた感想をあらためて持った昨今です。

インターネット関連の話題ということで、もう一つだけ。これはつい先日、浄慶寺さんから教えていただいたことなのですが、西本願寺のホームページがさらに楽しめるものになっていました。私がちょっと拝見していない間に、仏典童話や各地別院の紹介ビデオが見られるHONGWANJI WEB-TVのコーナーや、法話を音声として聞けるみほとけとともにのコーナーが新設されており、どちらも既に多くの内容を備えています。ぜひ一度アクセスしてみてください。


2003/5/4 今年のゴールデンウィークも、残すところあと少しとなりました。
みなさんはいかがすごされたでしょうか。後半は好天が続き、屋外で休日を楽しまれた方も多かったのではないかと思います。

・私どもは、勿論、連日の法事・月参りをこなす毎日でしたが、それももうすこしで一段落です。また数日来、風邪にやられて、熱はあまり出ないものの、咳と鼻水と悪寒に悩まされていました。暑さ寒さの感覚も分からぬままに、汗が出てきたりと、それなりに困りました。おかげさまで今日あたりからは、ようやく5月の風が肌に心地よく感じられるようになり、この意味でも、少しホッとしているところです。

・山口県の本願寺派寺院のご住職で、有國さんという方からメールをいただきました。梵文阿弥陀経のデーヴァナーガリー書体でのテキストをユニコード(UTF-8)を用いて入力されており、いずれ公開されるようです。また、当方入力の阿弥陀経テキストに二箇所のタイプミスのあることを御指摘いただきました。さっそく訂正させていただきました。

・ホームページの更新も少ないゴールデンウィーク用のネタ、というわけでもありませんが、NTTデータのサイトにある、先見日記というホームページは、ちょっと立ち寄ってみておもしろいかも知れません。月曜日から金曜日まで、毎日日替わりで五人の人が雑文を書いているのが見られる、というものです。といっても、わたしが拝見するのは、おもに月曜日の遠藤論さんと火曜日の片岡義男さんのコラムですが。

前者はコンピュータ月刊誌ASCIIの編集長さんで、IT関連の新しい話題で楽しませてもらっています。

後者の片岡義男さんといえば、ちょっと昔には相当売れた流行作家でしたね。私の記憶の中では、とくに1970年代後半から80年代前半にかけて、本屋さんの文庫本のコーナーには、いつも片岡さんの本がズラーッと並んでいました(もちろん、いまも並んでいるにちがいないのでしょうが、あいにく今の私には、それらが目に入らなくなってしまいました)。私も学生だった頃、2、3冊読んだ覚えがあります。いまとなっては小説のストーリーなどはすべて忘れてしまいましたが、たとえば、街から次の街へとバイクで海岸線を走るときの風景などを描写するようなところに、感心させられたものでした。ジメジメベトベトとは対極の、あくまでも乾いて軽い文体でした。

その片岡さんの書かれたコラムですが、こうした小説のイメージとはずいぶん異なったもので、「旧来のすべてのものが終わりつつあるいま」ということを基本テーマに、毎週、さまざまな切り口で時評がなされています。この「先見日記」は、2002年の10月7日から書き出されていますが、そのなかで、国や企業や個人の暮らしのことまでが話題に乗せられ、どれもおもしろい指摘がなされています。興味のある方は、時間のあるときに、ちょっとご覧になられることを、おススメします。ただ、この手の文字を落ちついて読ませるページに、小さいフォントが使われているのは、なんとも不満です。自分自身が、老眼ということばとぜんぜん無関係というわけにもいかなくなってきつつある、ということもありますが(笑)。

追記:さっき「先見日記」を見直してみたら、土曜日のコラムが新たに加わっていました。担当は漫画家のしりあがり寿さんということで、すこし楽しみです。


2003/3/26 イラクでの戦争がいよいよ長期化の様相を帯びてくるようです。
それとともに、いかにハイテクを駆使しても、やはり戦争とは本質的に悲惨なものであるかが日々伝わってきます。

また、日本は、この米英による武力行使を支持する同盟国として、応分の人的あるいは経済的な協力が責務であるとの声も大きくなってきて、さらに気が滅入ります。

日本政府が米国のイラクへの武力行使を支持することを早々と表明したとき、日本およびその国民に発生したのは、戦争へのなんらかの協力義務ばかりではない、と思われます。おそらく私たちは、取り返しもつかない罪もそのときに背負ってしまったのではないでしょうか。戦争という暴力は、その性質上、戦地で戦い、人を殺傷する軍人にだけ殺人の罪を押しつけられるものではありえません。この軍事行動を指導する人々はもちろんのこと、その行動をどんなかたちであれ支援する国および国民は、皆、その罪に関わっていると考えざるをえないからです。瀬戸内寂聴さんが日本の武力行使への支持表明について、世界に対して顔向けができない、恥ずかしいと嘆いておられましたが、この点に関しては瀬戸内さんにまったく同感です。

「罪を背負ってしまった」という思いは、それ自体はネガティブなものですが、同時に、そこからまた新たに厭戦や反戦の声をあげることができるのではないか、とも思われます。無罪の善人の立場からではなく、おなじく罪を背負ってしまった者として、これ以上の罪を作ることはやめてほしい、と言えるのではないでしょうか。


・27日の朝日新聞夕刊に、ブッシュ大統領の所属するプロテスタントのメソジスト教会の指導部が、今度のイラクへの武力行使に反対するとの声明を発表されたとの記事が載っていました。この記事については、「ほぼ日刊イトイ新聞」というホームページの中で、鳥越俊太郎さんもニュース解説を書いておられます(3月28日分)。米国内においても、多くのキリスト教徒の方々が、このたびの武力行使とキリスト教とがしばしば結びつけられることに嫌悪しておられるにちがいないだろうと確信はしていましたが、事実として戦争反対の声明や行動が見られて、正直なところ、ホッとしました。

五木寛之さんは、宗教は現実の世界に対してブレーキをかけるはたらきをするものだ、とおっしゃられています(『運命の足音』幻冬舎刊)。人間という傲慢な存在に対して、その暴走をとめようとするはたらきが、宗教にはある。つまり、聖なるものに対峙したときに抱く畏敬の念や、恥じらいや自省(仏教でいう慚愧の心)、あるいは罪の意識が、人間の欲望をしずめさせ、その暴走にブレーキをかけるものとなる、ということなのでしょう。逆に、もしも、聖なるもの・宗教的な権威を自らの欲望や傲慢を正当化するために利用することがあるならば、それはまったく聖なるものを畏敬していないことだと言わねばならないのではないでしょうか。と、つい、ごりっぱなことを書いてしまい、失礼しました。


2003/3/21 今日のお彼岸の中日は、春の陽気にあふれる一日でした。
しかし今年の桜の季節は、いやがおうでも戦争に思いを巡らしながら過ごさざるをえないようです。昨日20日午前11時半過ぎ、とうとう米国によるイラクへの武力行使が開始され、以来、テレビや新聞は戦争のニュースであふれています。

これから、戦争という暴力によって、多くの罪もない人々の命や生活や人生が奪われるであろうことは、もちろん痛ましい限りです。しかしまた同時に、これまでの戦争に至るまでの多くの議論が十分に吟味されないままに事態が進んでいったことに、やりきれない思いと無力感を感じずにはいられません。

 

久々の書き込みだというのに、今日はこれ以上どうにも書けそうにないようです。どうも無内容でつまらない文章になってしまい、すみません。

 

追記(2003/3/22):なお、このたびの武力行使に対して、浄土真宗本願寺派は、抗議と即時中止を求める声明文を発表しています。本山のホームページから見ることが出来ますので、ぜひごらんください。


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