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付け足し: アバターとアヴァターラの距離(2004/3/13)

 

2005/12/31 大晦日: って、一年で一番暑い季節に書いた雑記帳の次が冬の大晦日とは。あいだがあくにも、これはちょっとひどい。まことに申し訳ありません m(_._)m

8月以降の気候を振り返れば、今年は夏がとても暑かったのに加えて残暑もながく残り、暖かさのせいで紅葉も色づかないほどだったのに、本当にどうしたことか、12月に入ってとたんに非常に寒い冬に突入して今に至った、というところでしょうか。10月の、まだ暖かでとてもいまの寒さが予想できない頃のことです。法事の席で、山間部の方が、「今年はへこき虫(カメムシのこと)がたくさん発生していて、こんな年は大雪になるよ」とお話しされていて、その時は、ああそうですかぐらいの相づちしか打てなかったのですが、結果的にはいまのところまさしくそんな冬になりました。12月の半ば頃は、「冬ごもり」という言葉そのままの日を数日過ごして、この冬はずっとこんな風なのか、と思ったのでしたが、さいわい、今日の大晦日は晴天で気温も上がり、境内に残った雪もかなり溶けて、除夜の鐘においでの方々の足元の安全も確保されました。

年の終わりに際しては、あっという間に過ぎて何も出来なかったという思いがあって、今年もその例外ではないのですが、しかし同じ繰り言で一年を総括していてもしょうがない。一年のうちになにか得られたものはないか、探してみたい気が致します。

ことしも、9月後半から12月20日ごろまでは特に忙しく、それでもなんとか乗り越えたという感慨があります。10月末頃からは、ご門徒のお家で、あるいは近隣のお寺でお取り越しの報恩講がありますから、日常の月参りや法事に加えて、なんども「正信偈」を読ませて頂くことになります。しかしそうした日々のお勤めの中で、「正信偈」についてすこしだけ、思いを新たに出来たことは、ささやかながら、有り難いことでした。

「正信偈」のおつとめといえば、親鸞聖人が書かれた漢文の正信偈を拝読し、引き続いて南無阿弥陀仏の念仏と和讃を読むのが一般的です。ご承知のように、正信偈は大きく分けて二部からなっていて、前半は浄土三部経の内容がまとめられ、阿弥陀さまの本願とそれによる救い−つまり南無阿弥陀仏の教え−が中心に説かれ、後半はその南無阿弥陀仏の教えがインド・中国・日本にそれぞれの時代に生きられた七高僧と呼ばれる祖師たちによって伝えられ、広められ、深められたことが時代の順を追って説かれています。この正信偈の部分を拝読するということはつまり、お経に説かれた南無阿弥陀仏の教えを聞き、またその教えについての祖師方の味わいを聞かせていただくことになるわけで、浄土真宗の教えの深い内容を聞き学ばせて頂くことになります。

それでは、この漢文の正信偈に続いて念仏と和讃を拝読するというのはどういう意味があるのだろうか。この点について、私はこれまで、あまり考えてみたこともありませんでした。小さい頃は、念仏・和讃のあたりになると足がしびれてきて、むしろはやく終わらないものかとばかり思っていたのでした。さすがにいまはそんなことは思わないのですが、その代わり、この念仏・和讃の部分は独特の節回しの上に次第に音程が上がっていきますから、いわば声を上げて読むには「しんどい」部分といえます。お取り越しの法要のたび毎に、声を上げて、ときには身体も動かしながら、まあ、いっしょうけんめい読むわけです。そうしたなかで、「南無阿弥陀仏」のお念仏をくり返しくり返し声に出して読んでいると、その時の私はただお念仏する存在でしかなくなります。私が今していることはお念仏を口にするばかりで、お念仏する以外の私はその時はありません。いわばお念仏がそのまま私である、ということになります。

ところで、この「南無阿弥陀仏」のお念仏ですが、文字どおりには「〔私は〕阿弥陀仏(すなわち、限りない光明あるいは限りない寿命ある仏)に礼拝いたします、帰依いたします」という意味ですが、これを親鸞聖人は、こう味わわれました。すなわち、そのようにして私の口に出る「南無阿弥陀仏」というのは、私が阿弥陀仏に帰依することを表すもののようであるけれども、実は阿弥陀さまの方からの「われにまかせよ、かならず救う」という呼び声である、願いの声である、と。お念仏というのはけっして私の方から出てきたものではなくて、阿弥陀さまの方から出てきたものだというのは、まさにその通りと思うのですが、そうすると、正信偈に続いていっしょうけんめいに読む「南無阿弥陀仏」のくり返しは、阿弥陀さまの呼びかけそのままを聞くこととなります。私はお念仏するばかりの存在であり、しかもそのお念仏は阿弥陀さまの方からの呼びかけに他ならないとすれば、このとき私は阿弥陀さまの願いのはたらきを生きている存在となりきっている、といえるのではないか。

このように文字にしてしまうと、なんとも理屈っぽくとられるか、あるいは「宗教」にとらわれた異常者のたわごとに読まれるのではないかと危惧するのですが、じっさいに私が「味わった」ことというのは、ある意味ではしごくあたりまえの、じつにたわいのないことです。しかし、正信偈に続く念仏のくり返しを、このように「味わう」ことが出来るようになったということは、個人的にはとても意義深いことでありました。「正信偈」の部分が、お念仏の法の流れを聞き学ばせて頂くところであるとすれば、それにつづく念仏・和讃の部分は、阿弥陀仏のご本願のはたらきと「直接に」であわせて頂く部分である、といえるかもしれません。そう受けとってみれば、正信偈〜念仏・和讃という読み方は非常によくできたものだと感じざるを得ないのでした。ちなみに「和讃」とは、「大和言葉(日本語)で書かれた阿弥陀仏を讃えるうた」というのが基本的なものかと思います。仏の名を称え(念仏)、あるいはまた仏の威徳をほめたたえる(讃仏)という行いは、古くは、インドで大乗仏教のはじまりから重要な宗教行為としてあったもののようです。正信偈〜念仏・和讃を拝読することは、そうした大乗仏教の流れからけっして離れたものではない、ということになるのでしょう。

ひさしぶりの書き込みで、またもや長くなってしまいました。ともあれ、2005年の法務も終え、大掃除も形だけでもすませて、新たな年を迎えることができます。以前は年が変わることについて冷ややかに思っていたのですが、いまはこうして一年の区切りがつくというのはありがたいこととすなおに喜べます。じっさいのところ、年の区切りもなく、際限なく日々の法務に追われているというのは、つらいものがありますから(^^;  お寺にはゴールデンウィークもお盆もありませんが、さいわい、正月の三が日だけはお休みがもらえます。これがともかくうれしい。

この一年間、更新もほとんどせずにまことに失礼しました。しかしお寺のホームページはともかく続けて行くつもりでおりますので、よろしくお願い申し上げます。皆様にはどうか良いお年をお迎え下さい。


2005/8/6 暑中お見舞い申し上げます: 一年で一番暑い日々、皆さんはどうお過ごしのことでしょうか。今日は他愛もないお話です(っていつものことですが)。

8月1日から恒例の正信偈のけいこを毎朝行っていたのが、今朝終了しました。朝7時というのに、早くもセミが盛大に合唱しているのを耳に感じながら、近所のお子さんからご年配の方々まで、十数名の参加をしていただきました。

中心は正信偈の読み方のけいこながら、作法や仏教・真宗のことも少しずつお話しさせていただくことは言うまでもありません。あまり長くならない程度に、阿弥陀仏のご本願のお話しをしたり、七高僧と呼ばれる祖師に代表される有名無名の人々によってインド〜中国〜日本へと法が伝わってこそ、私たちがこうして手を合わせ正信偈を読むことができることをお話ししてみたり。今年は途中に息抜きのちょっとしたゲームを挟んでみたりしたのですが、来年はさらに工夫をして、楽しんでもらおうと考えているところです。

以下は、そんななかで少し脱線してふれた、インド(デリー)で見た二つの顔を持つ蛇の写真。もしかすると学術的にも貴重な写真かもしれないので、貼っておくことにします(おいおい、そんなおおげさな (^^; )。

上の写真のへびつかいのお兄さんが首にかけているのがそれで、さらにそのアップが下の写真。しっぽがなくて、胴体の両端に顔が付いている、という信じられないへびで、現地のガイドさんの話によれば、片方の顔が活動しているときはもう一方は寝ていて、これが半年ごとに交替するのだとか。ヒンディー語で「ドームハ(domukha)」という、と教えられました。とはいえ、この写真を撮ったのはもう十二年ほど前のこと。はたしてそんな奇天烈なものを本当に見たのか、それとも、「幻を好む」インドのこと、まんまと幻術にだまされたのか、今となってはもはや確信が持てなくなってしまいました。

ヒンディー語「ドームハ(domukha)」の「ドー(do)」は英語の「two」に、「ムハ(mukha)」は同じく「mouth」に、それぞれ対応しますから、「ドームハ」とは「二つ口(2-mouthed)」、あるいはさらに「二つ顔(2-faced)」という意味になります。この「ドームハ」、梵英辞書(dviの項)に、ちゃんとそのサンスクリット語形「ドゥヴィムク(dvimukha)」が載っているのを見ると、昔からインドではその名が知られていたらしい。おそるべし、ドームハ。


2005/6/11 法務の合間に: 東海から九州南部にかけては、今日、梅雨に入ったということですね。

午前の法事の時にもお話をさせていただいたのですが、雨の日の法事というのはいいものです。外が雲一つない晴天でさわやかな風が吹いている、ということであれば、屋内で一所にジッと座っているのは正直なところうれしくない。戸外に出て身体の一つも動かしたいものです。あるいは、家事をこなす人は、休日の晴天となれば、布団を干したり、たまった洗濯物をまとめて洗ったり...と、とてもゆっくりと座っていられる気になれないのではないでしょうか。

それが雨の日ならば、洗濯も、布団干しも、掃除もあきらめきれるし、また外出する気も失せてしまいます。有縁の方々が集まって一つ屋根の下でゆっくりと法事の時を過ごす絶好の機会、といえるかもしれません。窓の外の雨音を聞いていると、一緒に雨宿りの時を過ごしている心持ちになって、晴れの日よりも余計に隣の人に親しみを覚えるのではないでしょうか。そんな雰囲気の中で、私にとって縁ある故人の法事に参加して、いのちの拡がりを想い、お念仏のご縁をいただくというのも、なかなか魅力のあることです。

ご承知のように、インドには乾季と雨季とがあって、6月から9月あたりが雨季となります。雨季の直前は一年で最も暑い時期ですが、雨季に入ると暑さもおさまり、緑も息を吹き返します。ちなみに、このインドに雨季をもたらすアジアモンスーン(季節風)の流れは、はるか東の日本にまで及び、梅雨前線を活発化させるのですね(くわしくはこちらを参照ください)。お釈迦さまの時代、お釈迦さまと仏弟子たちは、一ヶ所に定住することなく、遊行(ゆぎょう)といって、各地を転々としながら法を広めましたが、雨季に入ると、しばし旅の生活をやめて一ヶ所に留まられたとのことです。これを雨安居(うあんご)あるいは安居(あんご)といいますが、この逗留期間は仏弟子たちにとっては法を聞き、深め、あるいは瞑想する大切なときでもありました。「安居」に対するサンスクリット語は、辞典によれば、「雨」を意味するヴァルシャvarSa、あるいはその派生語ヴァールシカvArSika(「雨に関連する(もの・こと)」の意)です。つまり、インドの出家比丘(お坊さん)たちにとっては、ヴァルシャ=雨は、そのまま一ヶ所に安まり居して法に親しむことを意味していた、ということです。

雨季に遊行の生活を行わないのは、この時期には川が氾濫するなどで外出が困難であり、また草木の若芽を踏んだり昆虫類を殺傷することが多いからだと聞いたことがありますが、今にして思えば、それまでの暑さがしずまる雨の時期は、身も心も落ち着かせて法を聞き思惟するのに好都合であり、そのこともあって、雨安居の習慣が出来たのかもしない、とも想像されます。

インドにおける仏弟子たちの生活は、仏滅後ほどなくして遊行生活から僧院に定住するものへと替わっていきますが、雨安居の習慣そのものは僧院生活においても受け継がれました。浄土真宗でもこの伝統は今も生きていて、毎年7月の中旬から8月初めにかけて、京都の龍谷大学の学舎をかりて安居が開かれ、全国から法を聞き学ぶ方々が参集されます。

梅雨の時期はとかくいやがられますが、はるかに昔から続く安居のことを思いつつ、落ち着いて法を聞き深める好機と受けとりたいものです。

と、ひさびさの書き込みがなにやら一語法話のようなものになってしまいました。 


2004/12/29 どうやら年末年始は天気のすぐれぬ日々となりそうです。
東京地方は雪が降っているようで、岐阜でも今朝は雨が降り、肌寒い日となっています。相変わらずの雑記です。

●前回の雑記に書いた「ある」ということに関連して、ちょっと前に竹内薫『世界が変わる現代物理学』ちくま新書(493)という本を手に取りました。本の表紙うらには、こんな風に書かれていました。

相対性理論と量子力学の大発見を端緒とする現代物理学の展開は、にわかには信じがたい事実を明らかにした。われわれが世界を考えるときの素朴な前提−確固たる手触りを持った無数の物質により、この世界は形づくられている−が、きわめて不確かな「モノの見方」であるというのだ!では、最前線の物理学理論から導かれる、森羅万象の「リアル」なあり様とは、いかなるものなのか? その驚くべき世界像を、数式を用いることなく平明な語り口で解き明かす。

大乗仏教では、色・形あるものは実体がない(色即是空)などといって、ものの存在性についてまったく懐疑的です。しかしこの事に関して、現代の知性は一体どのように考えているのだろうか、とかねてから思っていた所に、「数式を用いることなく平明」に説いてくれるのなら、ちょっと読んでみようと思ったのですが……正直申し上げて、私には書いてあることの内容がほとんど理解できませんでした。残念。けれども、書いてあることはおもしろく、物理学が発展するにつれて、世界はモノで出来ているというよりもコトから成り立っていることが明らかになってきた、というのです。

 人類の科学文明の行き着いた終着駅において、われわれは、あらゆる「モノ」が消えた純粋な「コト」的な世界を見つけました。……
 「モノからコトへ……森羅万象がコトになった」
 現代物理学の最前線は、もはや物理学ではなく、「事理学」へと変貌を遂げてしまったのです。(p.216-217)

さらに、

 われわれは、通常、モノとモノの間の「関係」としてしかコトが存在できないと思い込んでいます。ですが、たとえば粒子という概念よりもエネルギーという概念の方が基本的だとするならば、少なくとも物理学の構造を見るかぎり、必ずしもモノがなければコトがないとはいえないことがわかります。
 むしろ、話は逆で、もしかしたら、人類の知の歴史は、世界の基本構造が(実は)モノではなくコトであることに気がつく過程だったのかもしれません。
 モノ的な世界観は、たしかにわかりやすいし、安心することができます。誰だって、自分が立っている高層ビルの床が実はスカスカの量子力学的な波というコトからできているなどとは思いたくありません。
 しかし、本当は、ものの属性としてわれわれが理解している「堅い」とか「四角い」などという形容詞は、モノ自体がもっているものではなく、単に量子論的なコトから始まる長い連鎖の集合を一まとめにして「コンクリート」とか「鉄筋」などという名前をつけて、それを見たり触ったりした人間の脳が「堅い」とか「四角い」などと感じるだけのことです。(p.225)

どうやら、私たちが、それこそがリアルだと信じて疑わないモノの世界は、ある方向に真相を突き詰めてみると、その実体性は消失してしまって、コト的な世界が開かれてくる。モノがなくてもコトは存在しうる、ということのようです。きっと理数系のセンスを持った方には、とてもおもしろい本なのではないかと思いました。

●一年がまたあっという間のように過ぎてゆきます。去年同様、365日の日数に見合った経験や知見を得たという思いが全くないのは恥ずかしいかぎりです。今年の冬から春にかけては、相次ぐ葬儀に立ち会わせていただきながら、私という者は、たとえ最も大切な人を今日無くしたとしても、やはり昨日と同じような明日を生きて行くほかはない存在であることを思い知らされました。これを「凡夫」というのだなあ、と思ったのでした。しかし同時に、そのような私に対して、私ならざるはたらきが届けられているというのも確かなことなのではないか、とも思ったのでした。これを法の流れといっても、阿弥陀仏のご本願といってもいいのだろうけれど、ともかく、そのような私ならざるはたらきが個人の計らいを超えて届けられているということは、私が口にするお念仏のご縁をよくよくたずねてみるならば、至極当然のことといえるのではないかと、−前回の雑記のくり返しになって恐縮ですが、こう思ったのでした。法に出遇うというリアリティーについて、愚かしくも味わいつづけてゆきたいものです。

人身受け難し、今すでに受く、仏法聞き難し、今すでに聞く。この身今生に向かって度せずんば、さらにいずれの生に向かってかこの身を度せん。(三帰依文より)

●例年のように、大晦日の晩には除夜の鐘を突き、年明けの1月6日・7日には当山報恩講が営まれます。どなたもお誘い合わせの上、おいで下さい。また、どなたも良いお年をお迎え下さい。


2004/12/15 ながらくご無沙汰をして、大変失礼しました。
前回の雑記から、あっという間の4ヶ月でした。今年の夏はめずらしくも仏典の森に入り込み、いわば茂みをかき分け道をさがしながら、森の風景を楽しんでおりました。ところが9月に入ると急に法務が忙しくなって、森にゆく暇もなくなり、ないし今に至ってしまいました。思ったことがなかなか進まないのは、これはやむを得ないことで、忙しいときは忙しさの流れに乗るしかありませんね。

そういう毎日のなかで、いつものことながら、ぼんやりと、とりとめもなく、こんなことを考えておりました。

私たちは、なにかが「ある」といえば、第一に、ものがある、ということを考えます。私の身の回りには、机がある、本がある、テレビがある、木がある、地球がある、太陽がある、星が、銀河宇宙がある……こういった、ものがあるということは、私たちが直接に目で見、手で触ることができるし、あるいは、直接に知覚できなくても、私たちは遠い遠い銀河宇宙についても、道具を用いて、それが「ある」ことを知ることができます。これらは、いわば、科学的な測定によって数量化できる「ある」です。

こうした、ものが「ある」ことについては、とりあえず私たちは疑いを持ちません。それらのものが「ある」ことに基づいてこそ、私たちの日常は成立しています。けれども、私たちの現実の生においては、こうしたものが「ある」ことだけが「ある」のすべてではないのではないか。私たちは、もう一つの「ある」のありようを知っているし、またそれを支えとして生きているのではないかと思われます。

その第二の「ある」は、たとえば、人と人とが真正面に対峙したときに感知されます。親子でも、友人でも、恋人同士でも、あるいは敵対者とでもいい、そういった人と面と向かうとき、ことばを伴っていても伴っていなくても、相手の人に何らかの感情・思念が「ある」ことがわかります。とくにそれが深い親愛であったり、あるいは逆に強い憎悪であるときは、相手にそうした感情が「ある」ことは、明白にわかるものです。また、相手のそうした感情に反応して起こってきた自分の親愛や憎悪など感情は、もちろん自分のものですから、明白に「ある」ことが感知されます。

第二の「ある」は、第一の「ものがある」のとは違って、決して科学的に数量化できないものでしょう(感情や思念は脳波という形で計測できるのではないかと言われるかもしれませんが、しかし「親愛」や「憎悪」や思念の具体的な質感(クオリア)ないし内容は、決して計測器によっては明らかにできるものではありません)。第二の「ある」は、見たりさわったり出来るような「実体としてあるわけではない」けれども、それが(相手の心において、あるいは自分の心において)「働いている」ことは、明らかに感知できるものです。

大事なことは、私たちは、第一の「ある」によって生きているばかりではなく、第二の「ある」に支えられて、あるいは支配されて生きている、ということでしょう。私たちは、他者の親愛・慈愛に励まされて生きる力を得ることもあれば、他者の憎悪に恐怖したりひるんだり憎悪を覚えたりするものです……

さて、阿弥陀仏のご本願があること、本願の働きがこの私に届いているという事態は、第二の「ある」の領域に関することである、と思われます。それはやはり見たりさわったり出来るようなものではないけれども、人がみ教えと真正面に対峙したとき−私に届けられたお念仏のご縁を深く省みるようなとき、あってあたりまえといえるほどに明白に感知することができるものなのではないか、と思われるのです。

親鸞聖人は、「正信偈」において、ご本願のいわれからはじまり、お念仏(念仏往生)のみ教えが七高僧によって伝え深められたことを説いておられますが、それは、このようにしてみ教えが自分のもとに届き至ってみ教えに出会えたことの歓びを表明したものであろうと考えられます。そこには、本願の働きとか、法の流れとでも言わねばならないようなものが、それぞれの祖師たちの個性を通じて伝えられつつ、しかも個々人の営為を超えたものとして働き、流れて「ある」こと(同時に、その働きあるいは流れが直截に私のもとにも届けられていること)についての聖人の確信が窺われるように思われます。

この点、さらに考えるべきことが多々あろうかと思いますが、とりあえず区切らせていただきます。

み仏のみ名をとなふるわが声は
わがこえながらとうとかりけり
             甲斐和里子


2004/8/15 連日30度を優に超す猛暑も今日は一休み、今晩は
予想最低気温も23度と、寝やすい夜になりそうです。

ながらくご無沙汰しておりました。6月の終わりから既にそのきざしがあった酷暑の夏を、皆さんいかがお過ごしのことでしょうか。僧侶の身としては、お盆が過ぎて、ほっとしております。今夜は木曽川河畔で花火があり、午後9時前までその音が聞こえていましたが、いまはもう、花火も終わって、窓の外からはかすかに虫の声が聞こえています。

夏も盛りが過ぎ、これからは終わりに向かいつつあることをかすかに感じる日、というのは、人によって様々かと思いますが、個人的には、どういうわけか毎年8月13日あたりが、その日にあたるようです。それはちょっと早すぎではないか、というのがおおかたの方の感覚かも知れません。しかし私の内なる季節感覚は、たとえそれがどんなに暑い日であろうとも、ほぼ13日ごろに、「ああ、夏の盛りがすぎたなあ」という感じを、かすかではあるけれどもハッキリと感じるのです。今年も、13日は暑い日で、汗をかきながらその日のお定飯(月参り)に門徒さんのお家をまわっていたのですが、そうした中で、暑さ感覚のピークを過ぎて、ふと静寂の感覚を感じたのでした。とても暑いけれども静かな感じが心の内に起きるようになると、私は同時に夏の終わりの始まりを感じます。この、だいたいお盆の最中に感じる、夏の静寂の感触については、毎年夏の初め頃にでも少し文章にしておきたいと思いながら、今年もついその機会を逸してしまいました。

まだまだ残暑に悩まされる日々が続きますが、これからは夏から秋へと移り変わりゆく気候のダイナミズムを日々楽しむことができる頃でもあります。どなた様もお身体ご自愛のうえ、八月の後半を健やかにお過ごし下さい。