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付け足し: アバターとアヴァターラの距離(2004/3/13)

2009/12/15 生死(しょうじ)に暗いということ: 毎度のごあいさつとなってしまって恐縮ながら、ながらく失礼しております。師走の候、みなさん、いかがお過ごしのことでしょうか。

 11月はかつて経験したことがないほどにあわただしく、やがては嵐も過ぎ去ることだろうと思いながら、刻々の状況に対して精一杯対応するほかはない日々を送っていました。ずいぶん胃腸薬のお世話にもなりました。その余波はいまなお及んでいますが、なんとかしのいでいる次第です。

 法要、行事、葬儀などに体当たりしながら、この間に、なんどもなんども頭をよぎったのが、弘法大師空海の次のことばでした。

生生生生暗生始 死死死死冥死終
(
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し)

(『秘蔵宝鑰』大正大蔵経第77巻363頁上)

 念のために申し上げますと、親鸞聖人(浄土真宗)と弘法大師(真言宗)とは、ある面では水と油のようにはっきりと異なっていて、二つの教えをごっちゃまぜにするわけにはできないところがあります。けれども上の弘法大師のことばは、宗派の枠を超えて、ひろく仏教者のことばとして普遍性を持っていると言えるのではないでしょうか。私は生死を何度も何度もかさねているというのに、それでもなお生死にまったく暗いままである……。そのことに対する焦燥感というか、絶望感というか、狼狽のような感触こそ、仏教者が仏道を求める原点なのではないか。親鸞聖人が「生死出づべき道」を求められたということも、そのような原点があってこそのことではないか、と思われるのです。

 もっとも、弘法大師の上のことばには、過去に生死のまよいの生存をくり返してきたという、いわゆる「輪廻転生」の思想が前提となっているようですが、私自身はそうしたものをリアルに感じることはありません。けれども、私がこの世に生を受けるためには、生命の始まりから直近の先祖に至るまで、無限のいのちの生と死の繰り返しがあったというのは疑いようのない事実です。あるいはまた、現代の私たちは世界中の人や動物が刻々と生まれ死んでゆくことを過剰なほどに見聞しています。そのそれぞれの生命の生死を「見聞する」ということは、たとえ間接的にであれ、ある意味で生死を経験することでしょうし、そうであれば私たちはかつてないほどに「生まれ生まれ死に死に」ゆく生死のさまを経験しているといえるのではないでしょうか。

 ところがそれなのに、私にはいっこうに生死ということがわからない。洞察が深まるというところがない。たびたび葬儀のご縁にあずかりながら、まったく生死の中に迷い没しているとしかいいようのない状況にいる。こんな思いが、このところなんどもなんども私の脳裏をよぎったのでした。しかしこの、「依然として、あるいは、いよいよますます生死に暗い」という実感は、このごろ折々にこうしたことをお話をさせていただいていると、どうやら私だけの感触ではないようで、思った以上に多くの方に共感していただけるようであることに、気づかされたのでした。

 弘法大師のことばに戻ります。そのおことばを先には焦燥感や絶望感や狼狽の感触によるものと受け取らせていただいたわけですが、しかしまたそうした感触は、いわば光に照らされて初めて知りうる類のものなのではないでしょうか。人は仏の智慧の光に照らされてはじめて、迷いの暗さに気づくことが出来るわけで、人間以外の動物のように、あるいはたとえ人間でも生死の迷闇にまったく埋没しているかぎりは、自分が暗いことすらも分からないままにいるのではないか。逆に「生死に暗い」ということが、いまも多くの方々に響くことばとして感じていただけるとすれば、現代社会においても(あるいは現代社会においてこそ)仏教に共感していただけるところがあるのではないか。現代社会にお寺が存立する意義があるのではないか、と思われます。

 私は今後とも生死の迷いから一歩も超出することが出来ないままにすごすしかない。私のいまここの生において、これは本当にその通りだと思わざるを得ません。しかしそうではあるけれども、あるいは、そうした私であるからこそ、「生死に暗い」ことを気づかせてくださる光が届けられている。阿弥陀仏のご本願が私ならざるはたらき(他力)として届けられていることをくりかえし聴聞し、味わわせていただきたいと思うことです。


2009/03/31 経本には医療補修テープを: あいかわらずの法務の日々で、失礼しております。

私の場合、法事は大経―観経―正信偈―法話―御文章というメニューでお取り次ぎさせていただいていて、正信偈についてはご出席の皆さんに読んで頂きたいので、経本をいつも十数冊カバンに入れて持ち歩いているのですが、これが簡単に傷むのですね。

使用の経本は背のところをほとんど接着剤で固めただけのつくりなので、しばしばページが脱落します。それで、傷んだ経本が増えてくると、たびたび修繕をすることになります。

修繕には脱落したページの背部分にボンドを付けてもとの本に貼り付け、その上から長いテープ状のものを貼っておこなうのですが、このときに、病院でガーゼなどを固定するのに用いる紙タイプの医療用のテープ(ニチバンのホワイトテープ)の二十ミリ幅の物を使うのがどうも具合がよいようです。

以前はわざわざ和紙を短冊状に切って片面をスティックのりで糊付けして……という手間を掛けていたのですが、医療テープを使うようになって、ずいぶんと効率が上がるようになりました。最初はテープから粘着成分が若干しみ出るような感触があるかもしれませんが、時間が経つとそれも収まります。(ちなみにセロテープは光沢が紙面としっくりしないし、またすぐに劣化してはがれてきていけません。) 経本に限らず、本の修繕に一度お試しあれ。 


2008/10/21 読書ノート: 仏教、浄土真宗のみ教えを世間様に向けてことばにするとき、聞く方々の心に響くものとなっているのか。あるいは自分自身の心に本当に響くものとなっているのか。いつのまにか専門の枠組みのなかで道理が通ることに満足していないか。そんなことを思うとき、専門外の活きの良いことばに触れたくなります。以下はもうだいぶ前にトップページに載せた雑文ですが、忘備録としても、あらためてここに載せさせていただきたく思います。

その一

肉体というものについて、私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし、分子のレベルではその実感はまったく担保されていない。私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる。……生命とは動的平衡にある流れである。

福岡伸一『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書
 

 増大するエントロピーに抗して生命の秩序を維持するために、私たちの身体はたえず分解され、外部から採り入れられた栄養によって更新されている。それは皮膚や毛髪ばかりでなく、骨や内臓、そして発生時にいったん形成されたらほとんど再生も分裂もしないとされる脳細胞でさえ、分子や原子のレベルでは絶えず新しいものへと交換がなされているという。
 評判どおり、とてもおもしろい本でした。こうした知見からも、身の内と外、生命と非生命、生と死との間に立つものの見方が育っていきそうな気がします。

その二

 上の『生物と無生物のあいだ』の関連です。最近の分子生物学の進展は人類の起源についても新説をもたらしているようです。

篠田謙一『日本人になった祖先たち』NHKブックスによると、

云々とのこと。1900年代の終わりに古人骨からDNAが抽出できるようになって、人類学は格段の進展を見せているとのことです。技術の進展によって新たな知見が拓かれるとして、ではそこからどのような世界観や生命観・人間観が育まれてゆくのでしょうね。著者も述べているように、日本(人)といっても、一つの大きな流れのなかに仮に区分けされた概念にすぎないという見方が、ともあれ、ここからも確認していけそうです。

 それにしても「お骨」とは面白いものです。あくまでも「もの」でありながら、しかも故人の一部であったことには間違いないのだからたんなる「もの」ともいえないところがある。ましてそこにはDNAという故人の情報が刻まれているというのですから。ただ火葬にすると遺骨のDNA情報は大きなダメージを受けたのでしたね。


2008/2/19 朝には紅顔ありて……: 蓮如上人の『御文章』の「白骨の章」に出る有名な句ですが、その元ネタのことについて。以下、大岡信『折々のうた』(岩波新書113、1980年)57頁からの引用です。

(あした)に紅顔(こうがん)あつて世路(せろ)に誇れども
(ゆうべ)に白骨となつて郊原(こうげん)に朽(く)ちぬ  
                      義孝少将(よしたかのしょうしょう)

『和漢朗詠集』巻下「無常」。作者藤原義孝は平安中期の人。日本第二の美人と称えられた麗景殿女御(冷泉院の后)の夭折を嘆じた漢詩の一節という。朝には若々しい紅顔に浮世の快楽を満喫していても、夕には白骨となって郊外の原野にくちはてるのが、死すべき人間のさだめなのだと、人生無常をうたう。浄土真宗中興の祖蓮如の有名な「白骨の御文」は、この句に基づいて書かれた。

 ということですが、この件はすべて、二月初めの法事のおり、合間の休憩のときに出席のお同行から教えていただいたこと。日課として毎朝詩を一つずつ朗唱していたら、『折々のうた』にこんなことが書いてありましたよ、と聞かせていただいたのでした。私はただ、お同行の確かな記憶にもとづいて、さっそく忘れないように同書を(ほとんど郵送料だけで)入手しただけです。しかもありがたいことに、その方は一週間ほど後にわざわざ同書の該当ページの他、その時に同じく話題に出た漢詩のコピーも寒い中に拙寺に届けて下さったのでした。

『折々のうた』附録の作者略歴によれば、藤原義孝(954-974)は「兄挙賢(たかかた)の前少将に対し、後少将と呼ばれたが、天然痘で兄は朝、義孝は夕に夭死。21歳。熱心な仏教信者であった。家集に『義孝集』。三十六歌仙の一人」といいます。

蓮如上人(1415-1499)は500年近く前に作られたこの漢詩に強く共振するところがあって、それで「白骨の章」のモチーフの一つとされたのでしょうね。そしてさらに上人から500年以上後の私たちもまた、「朝には紅顔ありて」という句に強く共振するところがあります。一つの詩によって示された意味領域が時空を超えた人々を共振させる。私たちも「いま、ここ」に限定された生を生かされていながら、こうした意味領域に向けて開かれている、ということです。法話や法語に私たちがうなずくということも、おなじことなのでしょうね。そのとき、仏典のことばは過去の朽ちたものではなくて、私たちに仏法の意味領域を開きしめすものとして現在している、ということになるのでしょう。


2008/2/6 PC移行: 不安定をだましだまし使っていたPCでしたが、電源を入れるごとに何度もリセットがかかってしまうようになって、ついにあきらめて、二日半ほど集中して新しいものに移行しました。騒音の出る文具を身近に置くことだけはしたくないので、機械はやはり排気ファンのない静音・省エネのものにしました。デルの通販ものなどからすれば少々割高で、それにもかかわらずCPUクロックは1.8GHzと今にすれば低性能かもしれませんが、私の使い方ではこれで不満はありません。ファンレスPCはこれで三代目ですが、購入・使用の際のハードルは劇的に低くなったと感じました。

OSはXPのまま、使用ソフトも以前とほぼ同じで、ダウンロードし直した一部のシェアウェアがバージョンアップしたのみ。同じソフトが不具合なく使えることが最重要です。それにしてもPCはかならずこわれるもの。これからも数年に一度はこんな宿替えの面倒をしなければならないのかと思うと気が重くなりました。もっとも、使うほどに重く不安定になっていったシステムが、新たなPC上に移行したことによって、ずいぶん軽やかになりかつ安定したのはよかったことでしたが。

厳しい季節ですが、雪の心配もないし、とくに午前中はそれほど風が強いわけではなく、自転車を駆っておまいりをすることも苦ではない、今年の冬はそんな感じです。


2007/8/7 たまには近況報告を: 8/1からの正信偈のおけいこが終わりました。最終日の今日は夕方からおさらい会をして、その後は夕食と花火で、子供さんたちと一緒に、接待する側の私たちもしっかり夏の夜を楽しませていただきました。

正信偈の読み方とともに、今年は毎日『おしゃかさま』の絵本を3頁ずつ読み、それにちなんだインドの写真も見てもらったのですが、よろこんでいただけたかどうか。

釈尊の生涯を描いた絵本も、最後は亡くなる場面でおわります。けれども釈尊の死は悲しみの場面であるばかりでなく、完成でもありやすらぎでもあると古来受けとられてきました。どの仏教国にもつたわるやすらかな寝姿の涅槃像が端的にそのことをしめしています。

生が終わったらそれでおしまいではない。あるいは人の死に完成ややすらぎといった価値をさし示すところに仏教の大きな意味があるものと考えられます。

おけいこの最中に二回の葬儀に奔走する中、おしゃかさまの伝記が示すものの意味についてあらためて気がつく思いがしました。


2007/6/8 <想像力>についての覚え書き: 一日、一週間、一月、一年。だれもがくり返しの中に生きています。けれどもその日常のくりかえしが、同時に、たった一度きりの不可思議のご縁でもあると気づくのに必要なのは、<想像力>です。
 「夢」とか「志」を持つというのは、確かに大事なことだけれども、それらはせいぜいごく身近な未来に想像力をはたらかすことにすぎない、ともいえるのではないでしょうか(またたとえいま「夢」や「志」を持てなくても、けっして生きる価値がないわけではありませんね)。けれども人間の想像力は、無限の未来にも、無限の過去にも、、いまここの無限の拡がりにも、どこまでも及んでゆけるものです。果てしない時間と空間のなかの、「いま、ここ」に私が位置していることを、くり返しの日常を暮らしながら、忘れないでいたいものです。

 そうした意味での<想像力>について、先日ふと見返していた『まなざしの記憶――だれかの傍らで』(TBSブリタニカ)の中で、哲学者の鷲田清一さんが、次のようにきわめて的確に書いておられました。忘れないように書き写しておきたいと思います。

 想像力というと、よく論理的な思考力と対比される。感性VS理性。だがどちらも、いまここにはないもの、不在のものへと向かう心の動きとしてはひとしい。想像力=ファンタジー(空想や夢想)ではない。眼の前にあるものをきっかけとして、眼の前に現れていない出来事や過程を思い描くこと、あるいはそれを論理的に整合的に問いつめてゆくこと、そういう不在のものへの心のたなびきがここでいう想像のはたらきであり、その意味では、科学にも政治にも、あるいは芸術や(他人への)思いやりにも、いきいきとした想像の力がどうしても不可欠なのだ。
 いまの社会を見ていると、そういう心のたなびきがだんだん短くなってきているような気がする。世界を、そして他人を理解するときに、想像力というものがどんどん乏しくなってきているような。(p.64)

 こうした<想像力>は、浄土真宗のみ教えを聴聞する上でもとても大切であろうと思われますが、そのあたりのことについては、また少しずつ考えてゆくことにしたいと思います。


2006/11/27 備忘録として: 日々のことなど、トップページに写真とともに書いては消し、書いては消して、それでお茶を濁している有様で失礼しております。今日は先日(11月20〜21日)トップページに記したことを、ちょっと書き写させていただきます。二日にわたる記事なので重複した文章があることをお許しください:

私たちは、一日に一回自転している地球の表面に生活しているのだから、それだけでも毎日そうとうな距離の宇宙空間を移動しているはず。なのに私は、そのことを一向に感知できずに、いつも同じ所に留まっていてちっとも身動きがとれないと嘆いているのですから、なんとも滑稽なものです。

グーグル・アースのような技術がこれからどんな風に(特に商業的に)利用されて行くものなのか、予想も付きませんし、またあまり興味もありません。個人的には、これもやはり、日常生活の深さと広さについての想像力を引き出す道具の一つとして使わせてもらいたいな、と思います。

*

地球は一日に一回自転しながら、さらに太陽を一年かけて周回している。ここまではまだ何となく理解できます。けれども、さらに巨視的に見ると、私たちの銀河系(天の川銀河)は、ほんとうに凄い速度で宇宙空間を移動しているようで、「仮に銀河系が600km/sで運動しているとすると、我々は1日に5184万km移動しており、1年では189億km動くことになる」!!(Wikipediaの「銀河系」の項から引用) 毎秒600kmのスピードで宇宙空間を移動しながら、日常の生活を営んでいるということ、いつもの光景がいつもどおりにある(ように見える)ということはまったく驚異ですね。その不思議を有り難いことと受けとらなければ、なんだかとてももったいない気がします。

同じくWikipediaによれば、音速(マッハ1)はだいたい秒速340m。秒速600kmのいかに速いことでしょうか(なみに宇宙の真空中における光速は秒速約30万kmだとか)。なんにせよ、日常生活が秒速600kmの速度で宇宙空間を移動していながら成立しているということは、とてもおもしろくて、いまだに頭から離れず、ときおり思い出してはその想像しがたい宇宙の運動について思いをはせている次第です。

もちろん、私はこうした科学の言説について、ただ「そんなものか」とおもしろがるだけで、それ以上に理解を深めることなんてとうていできません。けれども、くり返しになりますが、こうした科学の知見を楽しみ、さらにそれによって日常の不思議さを味わわせてもらうことは誰にもできることですし、またそうしないでいるのはもったいないことです。また、こうした日常の不思議さを有り難いものと受けとることと、阿弥陀仏のご本願から発せられたお念仏をいただくこととは、必ずしもかけ離れたことではないように私には思われます。くりかえし読ませていただいている榎本栄一さんの詩には、宇宙の不思議をそのまま自分にとどくお念仏の不思議として味わっておられるものがあるように感じられて、そんな榎本さんのお念仏の味わい方が私は大好きです。

虚空の
願船にゆられながら
朝になり夜になり
冬が去り
春に遇う

榎本栄一「虚空の旅」


2006/04/10 四分の一年が終わって: 春を待ち、桜を待っていた頃もすぎて、今年の第二四半期に入りました。年度替わりでもあり、また気分も新たにしたいところです。

1月中旬から先頃まで、今年は例年以上に葬儀があって、特に2月から3月にかけては心身ともに疲れました。首から背中にかけてひどくコリ、歯茎ははれるし口内も荒れ、胃腸も不調となりました。予定が立たず動けない日がずっと続く、ガマンガマンの日々でした (^^; しかし三月末日に全日の休みがとれる頃には体調もかなりもどったのですが。

一人の方が亡くなると、僧侶は、枕経、お通夜、葬儀、初七日(岐阜市近郊ではほぼ100%葬儀当日におこなわれます)にお付き合いさせていただき、さらにその後、七日毎のお参り、四十九日あるいは三十五日の法事にうかがうことになります。それのいったい何処が疲れることなのか、と聞かれるならば、たしかに身体的にはさほど重労働ではないかもしれません。しかし、それぞれの葬儀にはそれぞれに違った悲しみがあります。涙を見ない葬儀というものはおそらくないでしょう。それぞれの葬儀にお付き合いさせていただくということは、そうした個々の悲しみをなにほどか感じさせていただくところから始まります。ご家族の悲しみに触れ、短い時間ながら寄り添わせていただくことによって、はじめてご法義のご縁もとりもたせていただくことができるのだと思います。しかしそれはやはり気の重いことです。また、一連の葬送の儀式に法衣を着て人の前に身をさらし、ことばを出すというのは、そのたびごとに僧侶として自分をすべてさらけだすようなところがありますから、それも本当に気の重いことです。そうした一つ一つの葬儀がたびたび続いて重なってくると、正直なところ、ちょっとしんどいものがあります。夜遅く電話が鳴ろうものならば、一時期は本当に心臓が痛く感じました。しかし、こうしたしんどい時期にこそ得られるものはある、と思います。

人が亡くなることも、またそれに関わることも、けっして忌むべきことではありません。

お釈迦さまを持ち出すまでもなく、生き物がやがてその命を終えるときが来ること自体は、しごく自然のことです。人はある程度年齢が来ると、明確にかぼんやりとかの違いはあれ、いつも自分のいのちが終わる時点を基点にして、そこからいまの生を逆に照射して考えを組み立て、行動し、生きているところがあります。しかし、その当面の終点を忌み嫌うべきものと受けとる限り、私は忌み嫌うべき者へと近づいてゆく存在であるという矛盾を抱え込んで生きていかねばなりません。人が亡くなることは悲しむべきことではあるけれども、尊いことであると本当にうなずけるようになることが、私のいま現在の生を照らすことになる。けれども、死を尊いものと受けとることは、現代の効率主義の考え方からは到底みちびき出されるものではありません。そして、そうではないものの見方、真実を示すみ教えとして、浄土真宗ないし仏教があることは確かです。


2006/02/17 昭和の風景:大したことではありません。ウェブからいただいた、ちょっとしたネタをトップページの写真の下に書き込むつもりだったのですが、行数が多くなったのでここに書かせていただくまでのことです。

おそらくアマチュアの方々が写した身の回りの昭和の風景をプールする、「"SHOWA"昭和の足跡を記録する」という企画があるというので、のぞいてみると、とてもおもしろい。すでに千枚を超える写真がたまっているようですが、これらをスライドショー(画面右上のView as slideshowをクリック)で気の向くままにぼんやりとみていると、つい引き込まれる魅力があります。日本の日常の色や風景もこうしてみると美しく見えるから不思議です。また一口に昭和といっても60年を超えるわけで、おのずとそこにいくつかの年代層があることも確かめられます。とりわけ昭和40−50年というのは、自分が少年時代を過ごした頃であるという思い入れもあるせいか、自然と眼にとまります。おそらく戦前・戦後の変化も激しかったにちがいないのでしょうが、この頃もそれに劣らず、急激に日本(の風景)が変わっていった時代ですね。「自動車」の普及というのは、よかれあしかれ、とてつもなく大きな出来事でした。

そうそう、「カド」という名の喫茶店が写ったものがふいに出てきて、散歩の範囲内にある場所なので、ちょっと驚きました。不意打ちを食らった、という感じです。

いつものことながら、運動不足を少しでも解消するためにも散歩を心がけているのですが、なかなか思うに任せられません。この週末も法務でいっぱい、いっぱい、です。