んとくじひろ

2009(平成21)年版

 

9月8日 戦没者追悼会ならびに秋期永代経

 浄土真宗には慰霊(死者の霊魂をなぐさめること)の法要はありません。私どもが迷いの生死を超えて仏のさとりをいただくにあたっては、阿弥陀さまの摂取不捨(すくいとって捨てない)の願い(本願)のはたらきによるほかはなく、生死を超えることについては人間がはからうべきことは何もないからです。また読経の功徳によって、なくなった方が追善供養されたり、慰霊されるとも考えられません。なくなった方を追悼(死者をしのんで、いたみ悲しむこと)しつつ、その機縁に「いまここ」に生きる私が仏の教えを聞かせていただくのが、浄土真宗における追悼法要の意義です。先の終戦から64年が過ぎようとするいまでも、戦死された方の縁者が追悼会に来られる。その事実が示すところから、平和の意味が照らし出されるように思われます。

 午前・午後にわたる法要には、今年もまた、滋賀県守山市教願寺ご住職、向井了暢先生にご法話をいただきました。先生にはご多用のところ、遠路おいでいただき、誠に有り難うございました。残念ながら、午前は別の法務でお聴聞の機会を逃しましたが、午後には先生のご法話をじっくり聞かせていただくことができました。

私が祖父に習いましたのは、「涅槃寂静」というのは行き先お浄土や、ということでした。「諸行無常」がかならず死ぬということならば、「諸法無我」は、そのときお前の持って行くものは何一つ残っとらんのや。だけどそういう何にも持っておらん私の行き先はお浄土である。行く先浄土や。これだけをきちっとしておけば、私の人生はゆがみやしない。まっすぐまっすぐ歩いて行ける、というのが、祖父の教えでした……(向井先生ご法話より趣意)

 一時間半にわたるご法話において、先生にはひたすら「行く先お浄土」ということについてお話をいただきました。浄土真宗のみ教えの肝要を、率直に、深く、またわかりやすくお話いただいたことに心から敬意を覚えたことでした。遠近各地からおいでいただいたお同行の皆さんとともに、有り難い法縁に会わせていただき、意義深い時間を過ごすことができました。


8月7日 お楽しみ会

 8月1日から6日までの朝7時から行われる正信偈の練習。近隣の方々十数人の大人・子供の皆さんにおいでいただいて、今年も気持ちの良い夏の朝をともに過ごさせて頂きました。ここ数年は、最後の7日におさらい会と、それに引き続いてお楽しみ会を開いていましたが、今年は6日におさらい会をすませて、7日夕方のお楽しみ会を別立て。すこし遠方のお子さん、親御さん方にもおいでいただいて、お寺で過ごす夏のひとときを、より多くの方々と楽しむことを企画しました。ゲーム、パン作り、夕食、花火と、時間をともに過ごすにつれて子供さんたちの表情がなごやかになってゆくのが印象的でした。来年もまた楽しみましょう。


6月29日 第33回当山仏教婦人会総会並びに研修会

 薄雲によってちょうど良い具合に陽射しがさえぎられ、比較的過ごしやすい本堂で行われた善徳寺仏教婦人会総会および研修会。第33回の今年は、親鸞聖人をテーマに研修会を進めさせて頂きました。来る平成24年に親鸞聖人の750回忌をむかえるにあたって、宗門全体がその遠忌法要に向けてさまざまな動きを本格化させているこのごろです。当然のことながら当山もその大きな動きの中に在るわけで、そうであれば、この機会を、ぜひともご門徒の皆様とともに、私が深くみ教えにであうご縁とさせていただかなければもったいないことです。本年は、日本の仏教の流れにおいて親鸞聖人がなされたことが一つの大きな事件であったことをごくごく簡単ながらお話しさせて頂きました。

 法然上人や親鸞聖人が、それまでは仏の智慧と慈悲からほど遠いとみなされていた者たちこそが阿弥陀仏の願いのまっさきのめあてであると説かれたとき、それは日本の仏教を開き進めるものでありました。そのみ教えは、現代社会に生きる私にとってもまた、というか、いのちが一個人の尺度に縮小され見限られてゆくばかりで、大きな尺度においてとらえる想像力がますます乏しくなってゆく中で、大きな意味と可能性を持っているものと思われます。

 午後の研修会では、高田篤敬師(岐阜教区中川南組蓮教寺)においでいただきました。高田先生にはご多忙のところ、とても聞き取りやすいはっきりとした口調で親鸞聖人のご生涯とみ教えについて、さらには、ご自身の経験を交えながら日常の生を恵まれる有り難さをお話しいただき、誠に有難うございました。暑い季節にそれぞれ貴重なお時間を割いておいで頂いた婦人会の皆様とともに、落ち着いた心持ちでお話の展開を味わうことができました。

高田篤敬師

最後にいつもながら役員の皆様には事前の役員会から本堂の仏具おみがき、そして当日の会場の設営、接待など、お世話をいただき本当にありがとうございました。 


1月4日〜7日 当山報恩講(含準備)

 2009年の始まりの一週間は概して暖かな晴れの日がつづきました。昨年来の厳しい世相ですが、おかげさまで本年も年明け早々の報恩講を営むことができました。その準備には四日・五日と役員の皆様にはお世話をいただき、また六日・七日の報恩講当日には各地からご参詣をいただき、誠に有り難うございました。毎年の行事ながら、一回ごとが新しい。そんな思いを今年もさせていただきました。毎年ずっと欠かさずに報恩講に来ていただいていた方のお顔を見ることができなくなった寂しさが一方にあり、他方には、つい数日前のご縁で法座に足を運んでいただけた方があったりと、静かなものがたりが、今年の四日間にもやはりあったのでした。本年は大阪市正宣寺さまの大野孝顕先生にご法話をいただきました。大野先生にはこれで三度目の有難いご縁で、今年も味わい深いご法話を聴聞させていただくことができました。年明け早々に遠方よりおいでいただき、今回も本堂をゆるぎないおみのりに満たして下さいました。深くふかく御礼を申し上げるばかりです。本年もまた、ともに生死いづべき道を聴聞し、お育てをいただきたいものです。

行事次第:

1月4日午前 報恩講準備 お華束づくり
  5日午前   〃     お華束づくり、幕張り、おとき準備、他
  6日終日 報恩講当日
          10時 勤行・布教
          12時 お斎とき(食事)
          13時半 勤行・御伝抄拝読・布教
          18時 勤行・布教
  7日午前・午後 報恩講
          10時 勤行・布教
          12時 お斎
          13時半 勤行・布教

ご講師: 大阪教区正宣寺 大野孝顕師

写真記録:

4日〜5日:報恩講準備(お華束づくり、おとき準備、幕張り、会場設営、内陣荘厳など)

4日:お華束づくり。陽射しが心地よい午前でした。

整形されたお華束は本堂の鞘の間で一日
寝かせます。

5日:本堂の掃除。寒い朝にいつも
ありがとうございます。

幕張。いつもこの日の午前中は
おまいりに出ているので、記録係は子供に。
けれどもその方が
ずっと面白い写真が撮れていたりします。

炊事場ではおときの準備をして
いただいているし、

本堂の鞘の間ではお華束作りと、
いろんな作業が同時進行していて、
5日午前の準備は忙しいのです。

6日〜7日:報恩講当日

大野孝顕先生。本年は『教行心証』の
総序を題材にご法話をいただきました。

六日午前の法座から

 私たちはみ教えを聞いて賢くなってゆくのではない、立派になってゆくのではありませんね。真実の教えを聞いて初めて真実ならざる私に気づかせていただくのですね。……生死の真実から逃げよう逃げようというのが私の持ち前です。しかし真実から逃げていては闇に落ち込むばかりです。その闇に落ち込もうとする私を救おうというのが阿弥陀さまのご本願です。……苦しみ悩む私を何とかして救おうというのが阿弥陀さまなんですよ。

如来の作願をたずぬれば
 苦悩の有情をすてずして
 回向を首としたまひて
 大悲心をば成就せり
(阿弥陀仏が本願をおこされた本意をたずねれば、
苦しみ悩む一切衆生を救おうとのみ心である。
そのために、往生の原因のない者に、
かならず往生できる原因を与えようとされ、念仏を与えることによって、
慈悲の心を完成された。)

親鸞聖人『正像末浄土和讃』より

と親鸞聖人は申されました。悲しい人生を通して、苦しい人生を通して、お念仏にあえてよかったといえること、老いにも死にも意味があると気づかされることが大切なのではないでしょうか。……(大野先生ご法話より趣意抜粋)

 大野先生には今回もたくさんの笑いをいただきながら、浄土真宗のみ教えの要を情熱をもってお話しいただき、お同行の皆さんとともに深く肯かせていただきました。それぞれにけっして一般化できない個別の苦しみや悲しみをたずさえて生きてこられ、そして本堂に足をはこんでこられたそれぞれの方々の苦しみや悲しみを暖かくすくい取っていただきながら、しっかりと阿弥陀さまのご本願のおいわれをお話しいただけたことに、本年も有難いご縁をいただけたと思った次第です。まことにありがとうございました。


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