[1]私はこのように聞きました。あるとき仏(釈尊)はインドの舎衛国(シュラーヴァスティー)という国にある祇園精舎ぎおんしょうじゃに千二百五十人の修行者とともにおられた。
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[2]仏は修行者の一人である舎利弗しゃりほつ(シャーリプトラ)に向かい、こう言われた。−
「ここから西方、十万億の諸仏の国土を過ぎたところに『極楽』と名づけられる世界がある。そこには阿弥陀仏という仏がおられ、いま現在も法を説かれている。この世界は、一切の苦がなく楽のみであるから、極楽と言われる。
[3-7]極楽にはさまざまなみごとな光景で飾られている。
[8-9]阿弥陀仏というのは、その仏の光明が無量であり、十方の国を照らすのに障碍となるものがないから、『限りなき光明(無量光、アミターバ)』と言われる。またこの仏と、この仏の国土にいる人民の寿命が無量であるから、『限りなきいのち(無量寿、アミターユス)』とも言われる。
[10]また、極楽国土には無量無数の菩薩たちがおられる。生ある者たち(衆生)は、その極楽国土に生まれたいと願いをおこすべきである。なぜなら、その国に生まれるならば、そのような善き人々とともに一所に会うことができるからである(倶会一処)。
その国へは、わずかばかりの善行によってでは、往生することはできない。阿弥陀仏の名号をしっかりと取り保って(執持名号)、あるいは一日、あるいはないし七日、一心不乱であれば、やがて人は臨終において心が顛倒せず、阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得るであろう。だから人はかの仏国土に生まれたいとの願いを起こすべきである。
[11-16]さて、このように、いま私(釈尊)が阿弥陀仏の徳をほめたたえているように、東方・南方・西方・北方・下方・上方という六方の世界にまします、ガンジス河の砂の数(恒河沙数)ほどに多数の諸仏も同様に、『あなたたち生ある者たち(衆生)はこの一切諸仏に護念された経を信じなさい』とほめたたえておられる。
[17]あなたたちはみな、このような私(釈尊)の語および諸仏の所説を信じ受け入れるべきである。
もし人が、かの阿弥陀仏の国に生まれたいとの願いを既に起こしたならば、あるいはいま起こしつつあるならば、あるいは将来起こすであろうならば、その人はみな、この上ない正しいさとりを得ることからもはや退くことがなくなり、かの国土に既に生まれ、あるいは今生まれつつあり、あるいは将来生まれることであろう(若有人、已発願、今発願、当発願、欲生阿弥陀仏国者、是諸人等、皆得不退転、於阿耨多羅三藐三菩提、於彼国土、若已生、若今生、若当生)。だから人はかの仏国土に生まれたいとの願いを起こすべきである。 [18-19]時代の濁り・生けるものの濁り・偏見の濁り・命の濁り・煩悩の濁りという五濁あるこの娑婆世界の中にあって、この上ないさとりを得て、世間の人々のためにこのような信じ難い法を説くということは、私(釈尊)にとっても、甚だ困難なことである」−
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[20]このように仏がこの経を説き終わられると、舎利弗以下の聴衆は歓喜・信受し、礼をなしてその席を去った。 |