観無量寿経

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 観無量寿経(観経)は、「いづれの行もおよびがたき」罪悪の凡夫でも、南無阿弥陀仏のお念仏を称えることによって救われ、極楽に往生できることを説く経典です。その経典の序分には、王舎城の悲劇と称される、親子の間で繰り広げられた悲劇の物語が説かれています。
 この経典のサンスクリット原典は伝えられておらず、〓良耶沙きょうりょうやしゃ(西暦424-453年)という西域の人による漢訳『仏説観無量寿経』のみが現存しています。 


【仏説観無量寿経の大意】

[序分]

 私はこのように聞きました。あるとき仏(釈尊)はインドの王舎城(ラージャグリハ)という国にある「鷲の峰」(耆闍崛山ぎしゃくっせん、霊鷲山りょうじゅせん)に千二百五十人の修行者たち、三万二千人の諸菩薩とともにおられた。

 ときに王舎城ではマガダ国王の親子の間に、一つの悲劇が起こっていた。マガダ国の太子である阿闍世あじゃせ(アジャータシャトル)が、調達じょうだつ(デーヴァダッタ、提婆達多)にそそのかされて、父である頻婆娑羅(ビンビサーラ)国王を牢獄に閉じこめたのである。王の身を案じた妃の韋提希いだいけ(ヴァイデーヒー)は、自分のからだに食物を塗るなどして牢獄内に食物を持ち込み、ひそかに王に食を与えていた。しかしそれもわが子阿闍世に発覚するところとなる。阿闍世は怒りのあまり、韋提希を殺そうとするが、家臣に説得されて、この母親を宮廷にとじこめてしまう。わが子に背かれて囚われの身となった韋提希は憂い憔悴して、耆闍崛山におられる仏に向かって教えを請う。

 この願いに応じて自分の前に仏が現れると、韋提希は地面に身を投げ、号泣しながら仏に訴える−「私は過去になんの罪を犯したことによってこのような悪い子を生んだのでしょうか。また世尊せそん(釈尊のこと)はどのような因縁があって、提婆達多という悪人と従兄弟なのでしょうか。世尊よ、私のために憂い悩むことなき処をお説き下さい。もはや私はこの濁悪の世をねがいません」−と。
 そこで釈尊が眉間から光を放って諸仏の浄らかな国土(浄土)を現出されると、韋提希はその中から特に阿弥陀仏の極楽浄土に生まれたいと訴え、そこに行く方法を説き示されるように仏に懇願する。

 [本論]

[定善の観法] そこで仏(釈尊)はまず、精神を統一し、心を西方に専念して阿弥陀仏とその極楽浄土を観想する方法(定善じょうぜんの観法)を説き始められる。まずは太陽が西の空に沈みゆく映像を頭の中に焼き付くようになるまで観想する「日想観」にはじまり、ないし極楽世界のありさまや阿弥陀仏の姿やその徳などを観想し、あるいは自分が極楽浄土に往生しているありさまを観想するといった、十三の観想の段階を説かれる。

[散善の行] つぎに仏は、ひとしく極楽浄土に往生する者といっても、そこには九種の分類(九品くぼん)があることを説き始められる。九種の分類とは、極楽に往生しようとする者を、その資質や能力から上品・中品・下品の三つに分類し、さらにそれぞれの品を上・中・下の三種に分類するものである。
 すなわち上品の者には上品上生じょうぼんじょうしょう・上品中生・上品下生の三者があり、それぞれに資質や能力の上下はあれども、いづれも大乗の教えにしたがい、深く因果を信じて極楽往生を願う人々である。これを第十四の観想という。
 さらに中品上生と中品中生は小乗の戒律を守ることによって極楽往生を願う人々、中品下生は父母を孝養するなどの世間的な福徳を行うことによって極楽往生を願う人々である。これを第十五の観想という。
 これに対して下品に属する三種の人々(下品上生・下品中生・下品下生)は、上品や中品の人々が行うような福徳を行うことが出来ないどころか、かえってさまざまな悪行を犯してしまう罪悪の凡夫であるが、このような人々でも善き人(善知識ぜんじしき)の教えに出会い、南無阿弥陀仏の念仏を称えるならば極楽往生することができる。これを第十六の観想という。

 このように仏が説かれたとき、韋提希とその侍女たちは極楽世界のすがたや、阿弥陀仏および観音菩薩・勢至菩薩を見て、歓喜の心が起こり、からりと迷いがはれて大悟し(廓然大悟)、さとりを得ようとする心(菩提心)を起こして、極楽往生を願った。

[結語]

 仏(釈尊)は、弟子の阿難あなんからの、この経の「かなめ」は何なのですかとの問いに対して、念仏すべきことを強調される。すなわち、「念仏をする人は、人々の中の分陀利華ふんだりけ(プンダリーカ、白蓮華、汚泥の中から咲く白蓮華の花のような希有な尊き人)である(若念仏者、当知此人、是人中分陀利華)」と説かれ、そして最後に「あなたはよくこの語をたもちなさい。この語をたもてとは、すなわち無量寿仏のみ名をたもちなさいということである(汝好持是語。持是語者、即是持無量寿仏名)」、つまり念仏せよ、と言って、説法を終えられる。

 その後、釈尊は耆闍崛山に戻り、広く大衆に対して上と同じ説法をされた。すると、これを聞いた大衆はみな歓喜し、礼をなして釈尊のもとを退いた。


 このように、観無量寿経は極楽浄土に往生するてだてとして、十六の観想を順々に説く経典です。そのなかで、初めの十三の観想は、禅定において阿弥陀仏や極楽浄土を観想するという善行(定善の観法)による極楽往生を説くものです。これに対して第十四から第十六の観想は、観想とは称されるものの、実際には禅定の善行を説いているわけではありません。これらは、禅定もできないような、心が常に散乱しているような人々でも出来るような極楽往生の善行(散善の行)を、順次、上品・中品・下品の人々の資質に応じて説いているのです。

 さて、中国に観経が伝えられると、学僧たちは、この経典を「定善の観法」を説くものとして理解し、「散善の行」を説く部分はいわば付け足し的なものとみなして、重視しませんでした。釈尊は、極楽へ往生し、そこで仏とならせていただく行として「定善の観法」を勧められたが、それができない愚か者にも往生の道があることを「散善の行」と説くことによって示された、というのが、この経典に対する一般的な理解だったのです。しかし経の結語は、これに反して、本経のかなめは「念仏」にあると説いているように見えます。これはどうしたことでしょうか。

 [善導独明仏正意] 浄土真宗では、浄土教を伝え広めた七人の祖師を「七高僧」として仰ぎたたえるのですが、その中の一人に中国の善導大師ぜんどうだいし(西暦613年-681年)という方がおられます。善導大師は、それまでのこういった観経の理解を正されました。どんな人でも救い取るぞという阿弥陀仏のご本願のこころからすれば、観経の主題は、下品に説かれるような、「定善」もできないような罪悪の凡夫のために念仏による極楽往生を説くことにある、と明かされたのです。
 しかし、それならば、一体なぜ仏は韋提希に対して「定善の観法」や念仏以外の「散善の行」を順々に詳しく説かれたのか。それは、かつてはわが子を殺そうとたくらんだ過去があるにもかかわらず、自分が罪悪凡夫であるという意識をまったくもたず、善人の行う「定善の観法」を教授してもらうことのみを請い、「散善の行」を請い求めない韋提希に自分の犯した罪を自覚させ、他力念仏の教えに導き入れるためである。善導大師は、このように仏の意図を汲み取られたのでした。
 このようにして、善導大師によって、観無量寿経という経典が、「罪悪の凡夫が念仏を称えることによって極楽往生し、智慧と慈悲をそなえた仏とならせていただく」ことを説くものであることが明らかにされたのです。この卓見によってこそ、後に我が国で法然上人(西暦1133年-1212年)は浄土教に救いを見出されたのであり、法然上人は「ひとえに善導一師に依る」とその著書に明言しておられます。また親鸞聖人も、「正信偈」の中にも「善導ただひとり、仏の正意を明らかにされた(
善導独明仏正意)」と讃嘆されています。仏の説かれた観経は、こうして中国・日本の浄土教の諸師たちによって読み深められていったのです。

 見落としてならないことは、善導大師にせよ、法然上人にせよ、親鸞聖人にせよ、これらの諸師がたはみな、観経に説かれる罪悪の凡夫、念仏によってしか救われない下品下生の者とは、ほかならぬ自分のことであると受け取られたという点でしょう。『歎異抄』(第二条)に引かれた親鸞聖人の言葉でいえば、

いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし
(いずれの修行にもたえられない愚悪の身には、しょせん、地獄こそ定まれる住み家であるといわねばなりますまい
。(梯実円訳))

と自覚されるとき、観無量寿経の言葉がわが身を救う依りどころとして意味を持ってくるのではないでしょうか。親鸞聖人は、以下のご和讃にみられるように、観経は私という凡夫を救うために説かれた経であるという理解をさらにおしすすめられて、韋提希が極楽往生を願い、阿闍世・提婆達多が悪行をなしたのも、ひとえに「凡愚底下のつみびと」である私を他力の念仏に導き入れるためのことであったと味わっておられます。


[観無量寿経の大意をまとめた親鸞聖人の和讃]
(九首あるうちの六首を引用)

[和讃]
 

[真継伸彦現代語訳]

恩徳おんどく広大釈迦如来
韋提希夫人ぶにんに勅ちょくしてぞ
光台現国げんごくのそのなかに
安楽世界をえらばしむ(1)

慈悲の徳が広大であって、弥陀の本願を説くために世に出たもうた釈尊は、韋提希夫人のために、あらゆるみ仏が造りたもうた国土を、み光の中に示された。夫人は弥陀の浄土への往生を望み、釈尊はそのための教えを説き出された。(1)

頻婆娑羅びんばしゃら王勅せしめ
宿因
しゅういんその期をまたずして
仙人殺害のむくいには
七重のむろにとじられき(2)

頻婆娑羅王は性急に嗣子を望み、部下に命じて、わが子に生まれ変わるべき仙人を、寿命の尽きるのを待たず殺させた。その悪業の報いとして、後に当の子供の阿闍世によって、七重の囲いのある室に閉じこめられた。(2)

阿闍世王は瞋怒しんぬして
我母是賊
がもぜぞくとしめしてぞ
無道に母を害せんと
つるぎをぬきてむかいける(3)

阿闍世王は、餓死させようとした父王に、秘かに食事を与えていた韋提希に激怒した。わが母も父と同様に賊であると宣言し、無道にも、実の母を殺そうと剣を抜いておそいかかった。(3)

耆婆ぎば大臣おさえてぞ
却行而退きゃくぎょうにたいせしめつつ
しゃ王つるぎをすてしめて
韋提
いだいをみやに禁じける(5)

耆婆大臣は手で阿闍世王の剣を押さえ、後退させてついに剣を捨てさせた。王は韋提希夫人を、宮殿の奥に閉じ込めるだけにした。(5)

大聖だいしょうおのおのもろともに
凡愚底下ぼんぐていげのつみびとを
逆悪もらさぬ誓願せいがん
方便引入いんにゅうせしめけり(7)

『観無量寿経』には、聖者が悪人の姿となって現れている。彼らが悪行をはたらくことによって、愚かで下劣な罪人である私たちを、善人も悪人も等しくお救いくださる阿弥陀仏の誓願に、たくみに導き入れようとされた。(7)

定散じょうさん諸機しょき格別の
自力
じりきの三心さんじんひるがえし
如来利他
りたの信心に
通入せんとねがうべし(9)

心を静めての修行(定善)や、日常での善行(散善)など、人それぞれの分にあった修行をして往生しようとする自力の心を捨てよ。一切衆生を区別せず、念仏一つで往生せしめられる阿弥陀仏の他力の本願を、信じる心の中に入ろうと願え。(9)

 



 

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