観無量寿経 |
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観無量寿経(観経)は、「いづれの行もおよびがたき」罪悪の凡夫でも、南無阿弥陀仏のお念仏を称えることによって救われ、極楽に往生できることを説く経典です。その経典の序分には、「王舎城の悲劇」と称される、親子の間で繰り広げられた悲劇の物語が説かれています。 【仏説観無量寿経の大意】
このように、観無量寿経は極楽浄土に往生するてだてとして、十六の観想を順々に説く経典です。そのなかで、初めの十三の観想は、禅定において阿弥陀仏や極楽浄土を観想するという善行(定善の観法)による極楽往生を説くものです。これに対して第十四から第十六の観想は、観想とは称されるものの、実際には禅定の善行を説いているわけではありません。これらは、禅定もできないような、心が常に散乱しているような人々でも出来るような極楽往生の善行(散善の行)を、順次、上品・中品・下品の人々の資質に応じて説いているのです。 さて、中国に観経が伝えられると、学僧たちは、この経典を「定善の観法」を説くものとして理解し、「散善の行」を説く部分はいわば付け足し的なものとみなして、重視しませんでした。釈尊は、極楽へ往生し、そこで仏とならせていただく行として「定善の観法」を勧められたが、それができない愚か者にも往生の道があることを「散善の行」と説くことによって示された、というのが、この経典に対する一般的な理解だったのです。しかし経の結語は、これに反して、本経のかなめは「念仏」にあると説いているように見えます。これはどうしたことでしょうか。 [善導独明仏正意] 浄土真宗では、浄土教を伝え広めた七人の祖師を「七高僧」として仰ぎたたえるのですが、その中の一人に中国の善導大師ぜんどうだいし(西暦613年-681年)という方がおられます。善導大師は、それまでのこういった観経の理解を正されました。どんな人でも救い取るぞという阿弥陀仏のご本願のこころからすれば、観経の主題は、下品に説かれるような、「定善」もできないような罪悪の凡夫のために念仏による極楽往生を説くことにある、と明かされたのです。 見落としてならないことは、善導大師にせよ、法然上人にせよ、親鸞聖人にせよ、これらの諸師がたはみな、観経に説かれる罪悪の凡夫、念仏によってしか救われない下品下生の者とは、ほかならぬ自分のことであると受け取られたという点でしょう。『歎異抄』(第二条)に引かれた親鸞聖人の言葉でいえば、
と自覚されるとき、観無量寿経の言葉がわが身を救う依りどころとして意味を持ってくるのではないでしょうか。親鸞聖人は、以下のご和讃にみられるように、観経は私という凡夫を救うために説かれた経であるという理解をさらにおしすすめられて、韋提希が極楽往生を願い、阿闍世・提婆達多が悪行をなしたのも、ひとえに「凡愚底下のつみびと」である私を他力の念仏に導き入れるためのことであったと味わっておられます。 [観無量寿経の大意をまとめた親鸞聖人の和讃]
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