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4.初めての説法:サールナート

■法を説くことへのためらい
 
菩提樹の下でさとりを開いたお釈迦さまは、その後7日間、足を組んだままの姿勢で「解脱 の安楽」を味わわれたといいます。出家のときにいだいた目標を達成された満足感に、しばしひたっておられたのでしょう。
 ところが、その後、お釈迦さまはいったん、自分のさとった縁起の理法を世間の人々に説くのをためらわれたといいます。

 そのとき尊師は、ひとり隠れて、静かに瞑想に耽っておられたが、心のうちにこのような考えがおこった。
「私のさとったこの真理は深遠で、見がたく、難解であり、しずまり、絶妙であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところである。ところがこの世の人々は執著のこだわりを楽しみ、執著のこだわりに耽り、執著のこだわりを嬉しがっている。……だからわたくしが理法(教え)を説いたとしても、もしも他の人々がわたくしのいうことを理解してくれなければ、私には疲労が残るだけだ。わたくしには憂慮があるだけだ」と。(パーリ律蔵、マハーヴァッガ、I.5、中村元訳)

 さとりを開いた仏が説法をためらうというのは意外ですが、しかしそれだからこそ、お釈迦さまの心の動きを描写したものとして、非常に興味を引きます。お釈迦さまの心にあったのは、自己の内に起こったきわめて特殊で微妙な体験を、言葉という誤解を生みやすい不完全な手だてによって他人に正確に伝えることへの不安であり、あるいは、たとえ言葉をもって正確に伝えられたとしても感覚的な快楽の対象に夢中になっているばかりの世の人々にさとりの意味が果たして理解されるだろうかという疑念であったのでしょう。

 沈黙へ誘惑がお釈迦さまの心に起こったとき、梵天ぼんてんがお釈迦さまに法を説くように三度にわたって願い求めたといいます。仏典は、説法を決意するまでのお釈迦さまの心の揺れを、インドの最高神である梵天を登場させて表現しているのでしょうか。ともかく、この懇請によってお釈迦さまは世の人々のために法を説くことを決意されたといいます。これ以降、80才で生涯を閉じられるまでの45年間、お釈迦さまは人々に法を説き伝え続けらることになります。

初めての説法(初転法輪)、仏教の成立
 説法を決意したお釈迦さまは、古来宗教上の聖地と見なされていたヴァーナーラシー(ベナレス)に向かいます。ブッダガヤーからヴァーナーラシーまでは直線距離にして約200キロメートルほど、街道を歩けば300キロメートル近くあろうかという距離です。この長い道のりをお釈迦さまは歩いてヴァーナーラシーに向かわれた。それはなぜかというと、ヴァーナーラシーの郊外にあるサールナートというところに、5人の苦行時代の旧友がいたからだといいます。まず、かつて苦行をともにし、そしてお釈迦さまが苦行を捨てたのをとがめた5人の旧友に、法を説こうと思われたのです。
 サールナートには「鹿の園」(鹿野苑
ろくやおん)と呼ばれる園があって、そこに5人の修行者たちはいました。彼らに対して、お釈迦さまは「中道」のあり方などを説かれたと伝えられていますが、この最初の説法を、初めて法の車輪が回ったということで、「初転法輪しょてんぽうりん」といいます。5人の修行者たちはその説法に感銘し、お釈迦さまの弟子(仏弟子)になります。このようにして、お釈迦さまが言葉によって法を人に伝えられたとき、宗教としての仏教が成立したことになりましょう。



サールナート
 
サールナートは、インド最高の聖地として有名なヴァーナーラシー(ベナレス)から北西に10キロメートルほどの静かな森の中にあります。サールナートは現在の地名で、仏典では鹿野苑(ろくやおん、サンスクリット:ムリガダーヤ/ムリガダーヴァ、パーリ:ミガダーヤ、「鹿の園deer park)」の意)と記されています。
 森の入り口には、5人の修行者がお釈迦様を迎えたといわれる場所があり、そこにはいまも迎仏塔といわれるストゥーパ(チャウカンディ・ストゥーパ)が残っています。さらに進んで東入り口を入ると、スリランカのマハーボーディ・ソサイエティ(大菩提会)が1931年に建てたムーラガンダクティ(根本香堂)寺院が見えます。近年建てられた寺院としては、このほか、チベット寺院、中国寺院がサールナート周辺にあります。
 

サールナート迎仏塔。上の
八角形の建造物は16世紀ム
ガール王朝のもので、仏教と
は関係ない。クリックして拡大
スリランカのマハー
ボーディソサイエティ
が建てた現代寺院。
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 遺跡の中へ入ってゆくと、高さ43メートル、周囲36メートルのダーメーク塔がそびえています。建造は2300年以前のマウリヤ王朝にさかのぼり、1600年前のグプタ王朝の装飾が塔の表面に見られます。サールナートの遺跡からは、きわめて重要な初転法輪像やアショーカ王柱の頭部などが発掘されており、現在は遺跡に隣接するサールナート考古博物館に納められています。

ダーメーク・ストゥーパ。高さ
43m、周囲36m。手前にある
のは、奉献塔と呼ばれる小さ
なストゥーパたち。
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サールナート出土初
転法輪像。5世紀。
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 インド国旗の中央に描かれているライオンの図柄は、このサールナートから出土したアショーカ王柱の頭部をとったものです。

サールナート出土
アショーカ王柱頭
部。紀元前3世紀。
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左のアショーカ王柱の根本
部分がサールナート遺跡に
ある。直径約2m。高さは約
14mであったとされる。
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◆◆◆

 聖地ヴァーナーラシーの郊外にあることもあってか、サールナートも多くの巡礼者や観光の人々を集めていました。昼過ぎに訪れたはずのサールナートも、遺跡を見る頃には、いつしか夕暮れ近くになっていました。翌日は夜明け前から有名なガンジス河のガート(沐浴場)に向かい、ガンジス河に浮かぶ船の上で夜明けを迎えました。

ガンジス河の夜明け
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船上からガートを見る
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