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1.誕生:ルンビニー

本名は「最上牛成義」!?
 お釈迦さまはヒマラヤ山脈の麓、現在のネパール王国の領土内に位置するルンビニーというところで生まれました。父は釈迦族 の国王シュッドーダナ(パーリ語でスッドーダナ、浄飯王じょうばんおう、「浄らかなご飯(白飯)をもつもの」の意味)、母はマーヤー(摩耶夫人まやぶにん)であったと伝えられています。ちなみにお釈迦さまという呼び名は、釈迦族という部族名に由来します。釈迦牟尼(「釈迦族の聖者」の意味)とも、釈尊(「釈迦族の尊者」の意味)とも呼ばれますが、その本名はサンスクリット語でガウタマ・シッダールタ(パーリ:ゴータマ・シッダッタ)といいます。ガウタマとは「最上の牛」、シッダールタとは「目的(アルタ)を達成した人(シッダ)」という意味です。あえて日本名にしてしまうと、最上牛成義とでもなるのでしょうか。ともかく、お釈迦さまことガウタマ・シッダールタは、母マーヤーがお産のために実家に戻る途中、ルンビニーの園で誕生されたといいます。しかしお釈迦様の母マーヤー夫人は、お釈迦さまを産んで7日後に亡くなったと伝えられます。代わってマーヤー夫人の妹であるマハープラジャーパティー(パーリ:マハーパジャーパティー)がお釈迦さまの養母となりました。

●外国のことばのひびきというものは、どうもなじみにくいものですね。しかし仏教がインドで生まれたものである以上、どうしてもインドのことばにふれなければならないところがあります。特に地名や人名については、現地の発音にできるだけ近い表記をする必要があります。かつて中国でインド語で書かれた仏典が翻訳されたときも、しばしばインド語の発音をそのまま漢字に置き換えた訳し方(これを音訳といいます)がなされ、その音訳が現在の日本でも用いられています。上の「釈迦」「摩耶」や、あるいは「仏陀」「涅槃」などは音訳の一例です。
 一口にインド語といっても、古今さまざまなことばが入り交じっていたのがインドです。しかし一般にはサンスクリット語とパーリ語という二つのことばがあるということを知っていれば、十分でしょう。
 サンスクリット語は梵語といい、古来、話しことばとしてよりも、文章語として用いられてきた言語で、仏典の多くもこのことばで伝えられたり、書かれたりしています。これに対してパーリ語はもともとはインドの北西部に流布した方言であったと考えられる言語です。サンスクリット語とパーリ語は同じことばの家族にありながら、一方は文章語として権威をもち、他方は地方の話しことばの一つとして世間に流布していたという違いがあります。さまざまな地方語の中でもパーリ語が重要なのは、一つには、そのことばで伝わった経典がスリランカやタイ、ミャンマーなどのいわゆる南伝仏教に流布し、伝承され、現在もなお使われているからです。こういった事情から、仏典に出てくる地名や人名その他のことばの原語といえば、通常、この二つのことばの発音が並べて表記されるのです。
 ここでは、仏典に出る地名・人名なとの固有名詞については、原則的にはサンスクリット語の読み方を主とし、パーリ語の読みを括弧内に、(パーリ:○○)と示すことにいたします。また上記における、ルンビニーやマーヤーのようにサンスクリット語・パーリ語の両語に共通のものについては、特に注記をしないことにします。

■ お釈迦さまの生年月日
 お釈迦さまの生存年代については伝承の違いなどから諸説があり、200年ほどの開きがありますが、中村元先生は紀元前463年〜383年の80年と算定しておられます。誕生日についてもいろいろな伝承がありますが、日本では『太子瑞応本起経(たいしずいおうほんぎきょう)』や『仏所行讃(ぶっしょぎょうさん)』といった仏典の記述にしたがって4月8日とし、各寺院で新暦もしくは旧暦の4月8日に合わせて<花まつり>のお祝いをします。



■ルンビニーの遺跡

 遺跡にはマヤ堂、アショーカ王柱、沐浴の池のほか、昔の僧院の遺構があります。

ルンビニー遺跡。沐浴池の西南角から北東に向けて一望する。奥の青いテントで囲われている建物は修復調査中のマヤ堂であり、さらに左奥にアショーカ王柱が見える。クリックして拡大 マヤ堂内に安置された誕生像。ただしこの彫像は破壊された古い像を新しく模造したもの。右からマーヤー夫人、養母マハープラジャーパティー、お釈迦さま、梵天、帝釈天が見える。
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●アショーカ王柱
 
 マヤ堂の西側に立つアショーカ王柱と呼ばれる石柱は、紀元前3世紀に生存したアショーカ王(パーリ:アソーカ、阿育王、無憂王)によって建てられたものです。マウリヤ王朝第3世の王アショーカは武力によってインドを支配しましたが、後にこれを後悔し、仏教に帰依し、お釈迦さまゆかりの聖地を巡礼しました。その記念に建造したのがアショーカ王柱であり、ルンビニーの石柱には、ブラーフミー文字という古代文字でアショーカ王が即位20年の年にルンビニーを訪れたこと、ここが釈迦牟尼の誕生地であること、ルンビニー村はお釈迦さまの誕生地であることによって税金を優遇されることなどが刻まれています。

◆◆◆

 1994年に当地を訪れたとき、ルンビニーの周辺は自然公園のような、自然の豊かな場所であったと記憶しています。おそらく2千数百年前もそうであったような自然のなか、ルンビニーの遺跡はありました。遺跡に近接してチベット寺院があり、チベット仏教の僧侶たちの声明の声が寺院から漏れ出ていて、ルンビニーがいまも聖地として生きていることを知らせてくれました。

 

 

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