はじめに

誕生 成長と出家 さとり 初めての説法 伝道 入滅 仏教・真宗のコーナートップヘ

 

3.さとり:ブッダガヤー(ブッダガヤ)

■中道によってさとりを開く−快楽と苦行との二つの極端を離れる−
 
カピラヴァストゥでの世俗的な快楽の生活を捨てて、一人出家の身となったお釈迦さまは、まず当時名声の高かった二人の仙人のもとを訪れます。しかしいづれの教えにも満足できず、ウルヴィルヴァー(パーリ:ウルヴェーラー)すなわちブッダガヤーの地で、6年 あるいは7年の間、激しい苦行をされたと伝えられます。
 その苦行がどのようなものであったかを、経典はくわしく説いています。たとえば胡麻の粉や草や牛糞までを食べるような厳しい節食の行。あるいは髭や髪を抜き取ったり、始終直立していたりうずくまっていたり、棘の床の上に臥すような苦行。あるいは森林にひそんで他人に接触しないような孤独の行などなど。また、多年にわたって身についた塵や垢がコケのようになっても、「ああ、わたくしはこの塵垢を手で払いのけようとは思わなかった」と、その苦行による憔悴を回想されています。
 しかしその苦行の結果、身がやせ衰えることはあっても、ついにさとりの智慧を得ることはありませんでした。なるほどこれほどの苦行は常人には出来ぬことです。そのような苦行を積めば、なにほどか汚れが落とされ、聖者や仙人に近づくことができるであろうという考えが、おそらく世間では流布していたことでしょう。しかしお釈迦さまは、そのような苦行は、なんの役にも立たないもの、なんの利益もないものであるとして、これを放棄されました。後に菩提樹の下でさとりを開かれたとき、お釈迦さまは、

わたくしは、もはや苦行から解放された。わたくしが、あの<ためにならぬ苦行>から解放されたのは、よいことだ。わたくしが安住し、心を落ち着けて、さとりを達成したのは、よいことだ。(サンユッタ・ニカーヤ、I.4.1、中村元訳)

と、こう思われたと経典は伝えています。

 苦行をやめたお釈迦さまは、近くの村に住むスジャーターという名の少女からミルクがゆを供養されたといいます(ちなみに、今日日本で市販されているスジャータというコーヒーフレッシュがありますが、その商品名はこの故事によるものだそうです)。ミルクがゆによって元気を得たお釈迦さまは、アシュヴァッタ樹の下に坐って瞑想をし、さとりを開かれたのでした。アシュヴァッタ樹(無花果樹)はヴァットとも、ピッパラともいい、またお釈迦さまがその下でさとり(bodhi ボーディ,菩提)を開かれたことから、菩提樹(Bodhi-tree, Bo-tree)とも呼ばれます。日本ではお釈迦さまがさとりを開かれた(成道ともいいます)日を12月8日とし、「成道会じょうどうえ」という行事をしてお祝いをします。
 さとり(bodhi)という名詞は、文字どおりには「目覚め、目覚めること」を意味し、さらに「知ること」を意味します。お釈迦さまはカピラ城での世俗の快楽の生活を離れ、そして6年あるいは7年の苦行の生活をも捨てて、この二つの極端を離れた中正の道、すなわち「中道
ちゅうどう」のあり方を見出して、「(真理に)目覚める」「(真理を)知る」ことを得られたのでした。
 さとり(bodhi)を開いた人のことを、ブッダ(buddha、仏陀
ぶつだ、仏、ほとけ)といいますが、この言葉はbodhiと同じ動詞語根(budh,目覚める)から派生した過去分詞であり、文字どおりには「目覚めた、目覚めた人」を意味します。つまり、お釈迦さまことガウタマ・シッダールタはさとりを開いて初めてブッダとなられたのです。35才、あるいは36才のときのことです。
 お釈迦さまがこのとき何をさとったのか、ということに関しては、さまざまな伝承がありますが、最も一般的には、「縁起
えんぎ」の理法を観じてさとりを開かれたと考えられています。



■ブッダガヤー

 
ブッダガヤーは、ガンジス河の支流の一つであるナイランジャナー河(パーリ:ネーランジャラー河、尼連禅河にれんぜんが)の岸辺に位置します。

スジャーターの村(バッカロー
ル村)にあるスジャーターの丘
から前正覚山を見る。
クリックして拡大
スジャーターの村の西にナイ
ランジャナー河が流れ、さら
に西の向こう岸にブッダガヤ
ー大塔がそびえる。
クリックして拡大

  ブッダガヤー大塔から東にナイランジャナー河を渡るとスジャーターの村(現地名:バッカロール村)があります。村にはスジャーターの丘と呼ばれる小高い丘があり、そこから田園越しに北東方向に前正覚山(現地名ドンケスリー)と呼ばれる山が見えます。お釈迦さまがブッダガヤーでさとり開かれる前に赴いた山といわれるところです。
 お釈迦さまは前正覚山から再びウルヴィルヴァーブッダガヤーに戻り、ナイランジャナー河岸辺の菩提樹下に坐り、さとりを開かれます。

東の入り口階段から西向きに大塔を一望する。
クリックして拡大

 ブッダガヤーの聖域には、高さ52mの大塔を中心に、大塔内に奉納される金剛仏、大塔東にある金剛宝座と菩提樹、あるいは大塔南の沐浴池などがあり、また大塔の周辺にはチベット、スリランカ、ビルマ、タイ、中国、日本の寺院があり、仏教の聖地としてにぎわいを見せています。

大塔内の金剛仏。高さ約2メ
ートル。9〜10世紀造とされ
る。もとは黒石であったが、
後にミャンマーの仏教信者
によって金箔が施されたと
される。クリックして拡大
大塔南面を見上げる。下方
の壁面に仏像が彫刻され、
また上方の壁面は装飾が脱
落していることがわかる。
クリックして拡大

 金剛宝座はお釈迦さまがそこでさとりを開かれた場所とされるところに石の台座を作ったもので、ブッダガヤーの聖域の中でも特別な場所とみなされます。そのとなりに立つ菩提樹はお釈迦さまの時代のものから何代か後のものと言われています。

大塔を右繞(うにょう)、つまり
時計回りにまわる)巡礼者た
ち。
クリックして拡大
東奥の金剛宝座と
菩提樹。金剛宝座
は現在、囲いがもう
けられ、門番によっ
て守られている。
クリックして拡大

◆◆◆

 撮影当時(二月)は乾期でしたが、幸い前日に雨が降り、少量ですが乾いたナイランジャナー河に水が流れました。ブッダガヤーはインド仏教聖地のなかでも、ひときわ荘厳なたたずまいを見せている場所です。早朝の凛とした空気の中、大塔を右繞参拝したことが、いまも鮮明に思いだされます。

 

 

前に戻る

仏教・真宗のコーナートップヘ

次に進む