浄土真宗本願寺派法性山善徳寺は、もとは岐阜市西川手の地に発祥しましたが、 関ヶ原の戦いによって徳川家康の覇権が確立した慶長5(1600)年の翌年、慶長6(1601)年に加納藩の創設にともなって加納城と城下町の建設が開始されると、元和元年(1615年)に旧中山道沿いの現在地(岐阜市加納)に寺基が移されました。加納の城下町が中山道加納宿として栄えた江戸時代の間、当寺は宿場町の東番所手前の寺として親しまれていたようです。 時を経て、第21世前々住職宗祥代、昭和3(1928)年11月11日に火災に遭い、本堂・講堂等の大半を焼失しましたが、門信徒の方々のご懇念とご協力により昭和9(1934)年に再建されました。前住職祥心代には、昭和45(1970)年に鐘楼の再建を兼ねる新講堂が竣工され、さらに平成9年(1997)年4月20日には蓮如聖人500回御遠忌法要とともに本堂屋根葺き替えおよび庫裡改築完工の慶讃法要が営まれました。その後、平成25(2013)年には本堂の不同沈下に対応すべく基礎改修および耐震工事が行われ、平成26(2014)年5月に親鸞聖人750回大遠忌法要とともに当該改修工事落慶および住職継職奉告法要が執り行われました。 それぞれの時代にはそれぞれに固有の困難があったことは間違いのないことながら、それにもかかわらず、こうして一つのお寺がご門徒ならび近隣居住の有縁の皆様に支えられて存続してこられたことはまことに有り難いことと言わざるをえません。今後とも地域の法灯を護持発展する真宗寺院の一つとして歩み続けさせていただきたく思うことです。
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